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古代史ネットkodaisi.net は橘氏について調べたのがきっかけでした。倭奴(いの)国初代天照大神の天石門別八倉姫や天石門別手力男命と各地の天の岩戸なども調べています。
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

伊勢神宮内宮の西殿には撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と東殿には天手力男命こと向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊が祀られています。
倭国「いのくに」徳島と国栖=胡人の王・向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

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2025年3月27日木曜日

岩戸分神社 神奈川県平塚市高根 高野と手力男

岩戸分神社(岩分明神社)
岩戸分神社(岩分明神社) 住所
254-0912 神奈川県平塚市高根(タカネ)116

岩戸分神社(岩分明神社) 例大祭  4月3日
ご祭神 手力男命
 
岩戸分神社(岩分明神社) 行き方
JR東海道線 平塚駅 からバスで十数分くらいでした。
平塚駅の北口を出て左手のみずほ銀行前の三番乗り場から、松岩寺行に乗ります。
日中は一時間に二本くらいあります。
平塚駅から徒歩でもいけないことはないけど、かなり大変だと思います。
上山下バス停 から徒歩5分
山下バス停 から徒歩5分 くらいです。
 

岩戸分神社の「高根」の「根」は「野」が転化

岩戸分神社のある平塚市高根の「高根」の「根」は「野」が転化したものだそうです。
高野と言えば空海に高野山を譲った高野明神です。
高野明神(犬飼明神)といえば丹生都姫の息子(子孫)の大名草彦のことですが、縣犬飼・犬飼氏一族で、手力男を祖神としています。
高野といえば手力男の一族

京都府舞鶴市の幸谷神社も手力男がご祭神です。

こちらの平塚市高根はもとは「高野」だったそうで、やはり手力男の一族が移動してきて、高野という地名をつけたのでしょう。四国から大和に進出した人達が、関東にも進出したのでしょう。
ご祭神は手力男ですので、やはり手力男の一族が移動してきたため高野という地名をつけたのでしょう。
 

「高野」のこう=銅などの鉱物資源

「高野」のこう・甲=銅や水銀などの鉱物資源のことですので、このあたりは昔は銅などが採れたのでしょうか?
手力男の一族や井光姫の一族は丹や銅を採掘する一族でした。
 

井開・猪狩・犬飼は井光姫のイカリ

井開・猪狩・犬飼というのは、水銀などの「井」を掘り採掘していたためについた氏族名です。
歴史家の中には猪や犬を飼っていたから猪狩・犬飼と今だに勘違いしている方がいらっしゃいますが、井光姫(いかり)のいかりですよ。
手力男の一族と密接な関係があり、同じ場所にいることの多い井光姫も「いかり」です。
 
屯倉に猫ならぬ犬を見張りにするために飼っていたから「犬飼」だという頓珍漢な説をいまだに流している方もいらっしゃいますが・・・・米蔵の鼠には猫ではないでしょうか? 我が家の犬はネズミも獲ってましたが・・・
海神族で銅を採掘していた軍事の手力男の一族が、犬飼ってどうするんでしょう?
高野明神も犬を連れてますが、狩りや鉱脈を探すのにここ掘れワンワンとして使ったかもしれません。
<追記>
[儺の国の星]によると、縄文時代に日本にきた西域や近東の民である国栖の一族は犬を飼っていたそうです。
手力男の娘の丹生都姫は国栖の祖とされています。なので、その子(子孫)の大名草彦(犬飼明神)も犬を飼う習俗があったのでしょう。
更に加筆しましたので、こちらをご覧ください。
https://tejikarao.kodaisi.net/inukaisama
(追記以上)
 
手力男の岩戸分神社のある高麗山あたりは、古い時代の堆積岩(高麗山層群(こまやまそうぐん)新生代第三紀中新世中期 、1560万年前~1360万年前)だそうです。
大磯町あたりでは高麗山層群の岩石を使用した石垣があるそうです。やはり岩が好きな一族ですね
 
高来郷の高麗は新羅に滅ぼされた高句麗の王族若光一族が移住して来た地とされてます。高句麗の人達が入植したために付いた地名のようです。
朝廷より、王(こしき)の姓を賜り、大磯、平塚附近一円を領したとある。
この遺名として「もろこし河原」「もろこしの里」などあるそうです。
 
手力男の一族の一族が入ったのはその前だと考えられます。「高野」(高根)の地名や岩戸別神社にその痕跡を留めています。
岩戸分神社というくらいですから、創建は古いのではないでしょうか。
創建は不明だそうです。
手力男のまたの名はイワトワケ命・岩戸分命(天手力男の系図とまたの名) というのがありますので、それで岩戸分神社のようです。
 

岩戸分神社行き方

山下バス停で下車し、バス進行方向に歩くと信号があり、その少し先に道から斜め上に入る道がありますのでこちらを登ります。

こちらの看板が左手にあります。もう少し先にJA研修センターの看板が右手にありますので道なりに進みます。虎女さんもこのあたりにいたようです。

上までいくと、JA研修センターがありますから、その前を過ぎ、道なりに行くと、見ざる聞かざる言わざるの塔があります。

双体道祖神もあり、見ざる聞かざる言わざるの塔との間の道の突き当りです。




岩戸分神社は道の突き当りにありました。

地神社とありますので、四国の地神塔と似ていると思いました。
大日如来の塔もありました。