向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊と撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は誰なのか<大阪篇>
向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊が手力男なのか、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は誰なのかについて、今回は大阪を中心に調べてみました。
天疎りつく神
手力男たちは天手力男、天羽羽姫など「天」がつき、天降った人は外国からきたという意味にとっている方も多いようです。
でも調べているうちに、古代は国栖や井光の里の人達のように、高天原と呼ばれた山の高い場所に住んでいるたちがいて、
四国も山の一番高い所には身分が高い人たちが住んでいたというように、
山の高い場所に住んでいた人達は国津神でありながら「天」降ったので、天津神と呼んでいたのではないかと気が付きました。
雨降り・あふり・あぶ・虻、などと付いている山は、雨乞いという意味もあるのですが、「天疎・あふる・あおる・あもる(天降る)」神たちがいた山のようです。
天河に行く途中にも虻峠がありますが、そこも「天疎りつく神」がいた場所だと思います
詳しくはこちらをご覧ください
謎の神 アラハバキ—騎馬遊牧民族と古代東北王朝 (ロッコウブックス) by 真治, 川崎【中古】
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は最初は豊雲野さんを祀ったそうです。大山阿夫利神社から下った場所に目形石があり、そこに神代文字が刻まれています。
雨降りで雨乞いが行われてきました。
大山は実際によく雨が降ります。
神奈川県の大山の大山阿夫利神社から下った女坂に目形石はあります。
大山もまた「天降る」神たちがいたようです。
とりあえず今回は<大阪篇>です。
大阪だけでなく、「天疎・あふる・あおる・あもる(天降る)」神が存在した場所は他にもあり、また手力男の子孫など「天疎りつく神」がいた天香久山も四国や信濃にも存在するからです。
今回は「住吉神社神代記」にもある神宮皇后の遠征ののちに建立された廣田神社と住吉大社を調べてみました。
九州の博多にも草香江があり、こちらにも住吉大社があります。
向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊 は日下(ひのもと)の銅の男
向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊の住吉大社とペアの撞賢木厳之御魂天疎向津媛命の廣田神社の位置関係を見てみると、
住吉大社が大阪湾の東側にあり、廣田神社は西側にあります。
詳しい地図もリンクしておきます。
https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?ll=34.755894%2C135.341005&spn=0.014632%2C0.019956&hl=ja&msa=0&source=embed&ie=UTF8&brcurrent=3%2C0x6000f4a8e56dca8b%3A0xc18c2d78725d5a70%2C1&mid=1_s8cARK-QBTXcW2uTnWsUTVbkZU
住吉大神 住所 大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9−89(東側)
向匱(むかひつ)と音から見ると
向匱を向日(むかひつ)と読むと、「日の方(かた)」の意から、「日光の当たっている場所」
古代は大阪湾には草香江(日下江)があって、“ひのもと”という意味で、日本の意味もある。
草香江は九州にもありますが、今回は大阪です。他にもあると思います。
住吉大社の脇に「大和川」が流れています。
それからすると住吉大社の方が向日津(むかひつ)でOK。
「住吉神社神代記」もできるだけ矛盾がないように書かれているのでしょうけれど。
こちらは廣田神社のほうが近い場所なのですが、唐櫃六甲台(からとろっこうだい)があります。
それからすると、向匱は「むかと」と読むかもしれません。
「むかと」ですとゴロが良くないので「むかつ」かもしれません。
あるいは同じタ行で読んで、「向匱」を「むかつ・ムカデ・むかて」とも読めます。
向匱・むかと→むかつ→むかて(ムカデ・百手・百足)
銅とムカデはつきものです。
百足・百手男・・・・
つまり「銅の男」
向(むか・むこ)も銅という意味ですので、「銅の港」という意味もあるでしょう。
戸=津(港)ですので、「こうと」と読むと、狗奴・神戸で、神戸も近いです。
それに、出雲王家のご末裔「富」家は「向」と名乗ることもあったそうです。
こちらも「銅」という意味も込められているのでしょう。
「向」こう=神から、神戸となったのでしょうか?
(菊理媛(くくりひめ)は撞賢木厳之御魂天疎向津媛 廣田神社は銅の精錬地 甲,武甲,務古,向は銅の産地 参照)
向匱は「むかと」だとすると、銅の、とか銅の港の意味でしょう。
和同開珎はこちらで採れた銅から作られました。
奈良の大仏も和同開珎も住吉さまや菊理姫の銅で作られていた
奈良の大仏も和同開珎も住吉さまや菊理姫の銅で作られていたそうです
六甲山や武庫平野のあたりでも銅がとれたのか、と思ったら、田銀銅山の一部を構成していて、奈良の大仏の造営や秀吉の財政を支えたとか
藤原藤太秀郷が百目鬼(どうめき)と呼ばれる鬼を退治したとする伝承があるけど、百々目鬼はこの銅銭に穴があって、鳥の目のようなことから作られた話らしく、平将門が百目鬼とされていることから、将門一族も銅鉱山を持っていた一族のようです。
向匱を漢字から探ると
匱の音読みは呉音が『ギ』、漢音が『キ』、訓読みは『匱(ひつ)』です
『貴(キ)』guiは簣(もっこ)を持つことを表す漢字ですが、中身の財貨が強調されると『貴(とうと)い』の意味が、簣(もっこ)の状態を強調すると『中身』、『空の』、『残された』等の意味になります。
『貴(キ)』guiは、両手で財貨を持つ様子を表す会意文字です。漢字の足し算では、臾(両手で持つ)+貝(財貨)=貴(両手で財貨を持つ。貴(たっと)い。貴(とうと)い)です。漢字の部首は『貝・かい』、漢字の意味は『貴(たっと)い』、『貴(とうと)い』です。https://huusennarare.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-2141.html
住吉さまは銅採掘でお金をもっていたから、「財の君」という意味もありそうですね。
紀州では日を抱く手力男とされていて日出貴大明神ともいうそうです。手力男の系図1 撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と対の神
あとから理由も書きますが、住吉さまはお金持ちだったのでしょう。
軍神でお金持ちの住吉さまは女神さまたちからモテモテだったようです。
銅などの鉱物資源を採っていたからお金持ちだったようです。
「向」を「むか・むこ」と読むと、「むか・むこ」には銅などの「鉱」という意味もあります
菊理媛(くくりひめ)は撞賢木厳之御魂天疎向津媛 廣田神社は銅の精錬地 甲,武甲,務古,向は銅の産地 参照
匱は「はこ」という意味もありますので、銅の入れ物を持っているという意味もあるようです。
もしかしたら銅鐸でしょうか
廣田神社は甲田神社 銅が生まれる地
そして廣田神社の廣も「こう」と読むと、甲田神社と読み替えられます。
廣田神社の摂社となっている六甲山神社(武甲山・務古と同じく「むこ」)と併せて鉱山と田(銅を精錬して銅を生む場所)という意味でしょうか
塩が生まれる所を塩田といいますので、甲田で銅の生産地でしょうか。
向「むこ」は銅の意味だとすると、神野向遺跡(かのむかいいせき)
https://www.sopia.or.jp/kcs/maibun/kohun_jouhou/kanomukai/kanomukai.htm
神野向遺跡などは「銅鐸などを埋めて祭祀した銅の遺跡」くらいでしょうか
<大阪編>撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
六甲山頂には一週間くらいいたことがありますが、その頃はまだこんな事を調べるなんて思いもしませんから、今思うと近くの神社にお参りくらいすればよかったです。
住吉大社とは昔の草香江(日下江)を挟んで西側には廣田神社があります。
廣田神社(広田神社)
住所 兵庫県西宮市大社町7番7号
「向津媛」の向津(むかつ)はというと、住吉大社に対して向の港という意味か。
向こう【向日】むこ=武甲・六甲で、現在の六甲山、
向津で「六甲(山の麓)の港の」ともとれます。
務古・むこ・武甲
広田神社のあるあたりは務古水門があって「務古・むこ」という地名だったようです。
現在も武甲という駅がちかくにありますので、読みは「むこ」で務古の姫のようです。
六甲山も元々は「むこ山」だったという説があります。
住吉大社の「向い」という意味もあるかもしれません。
六甲山神社(むこやまじんじゃ)のあるかつての廣田神社の社領の六甲山が向津峰(ムカツミネ)と呼ばれていたことから、廣田神社祭神、撞賢木厳魂天疏向津媛命の奥宮としてとらえると、ご祭神は菊理媛命(くくりひめ)です。
なので、大阪の撞賢木厳魂天疏向津媛命は、廣田神社のご祭神の菊理媛命(くくりひめ)ということになります。
菊理姫は禊祓いのまえ、天照大神が誕生する前に存在していたので、天照大神より古い神ということになります。
むしろ天照大神よりも前いた元の天照大神である「天降る」神ではないでしょうか?
菊理姫の「くくり」とは水「くくる」か?
記紀では次の天照大神となる人に水を「くくって」(潜って)禊をさせることから、菊理姫と言っているのではないかとおもいます。
菊理媛の「くくり」は「括る」にもつながり、現在は「和合の神」「縁結びの神」としても崇敬を受けています。
天香語山命に道姫命が真名井の水を柄杓で「くくらせて」(掬って)天の御影に就任する儀式を行ってました。
「「海部氏勘注系図」天香語山の項で、
「(天香語山の)母(天道姫、屋乎止女、高光日女命)答えて曰く、この国土を堅め造らんと欲す。とはいうものの、この國は豊受大神の所在する國なり。故に、大神を斎奉らずして、即ち、國成りがたし。故に、神に議りて、清地を斎定める。そして、汝と親しくこの大神を斎奉ると、則ち、国が成る
「天村雲命は、天真名井の水を汲み、この泉にそそぎ、その水を和す。もって神饌の料となす。
故にこの泉を名づけて、久志備の眞名井というなり。
紀州の日神を抱く手力男は東から誕生した太陽神を太陽の船で昼の世界を運ぶ神であるため、伊勢神宮内宮の東殿にいるとおもいます。
住吉大社は廣田神社の東側にあります。
廣田神社の菊理姫は伊勢神宮内宮の西殿にいて、西に「天降る」太陽を黄泉平坂であの世とこの世の境の水の世界に沈め、またこの世に新たに誕生させることから、
次の天照大神を水に潜って禊をさせる、
水を掬って新たな天照大神を誕生させる神を
「菊理姫・くくりひめ」としているとおもいます。
菊理姫はあの世とこの世の境の黄泉平坂にいる神であり、
新たな太陽神を誕生させる神でもあり、海と陸の境界を守る神であり、
高天原から来た天降る向津峰(銅鉱山)の姫ということになります。
天手力男の娘の羽羽姫・丹生都姫こと豊姫は稚日姫であり、手力男にいだかれている新たな太陽神かもしれません。
菊理姫のお使いはムカデ・百足
鎌倉の今泉に白山神社がありますが白山神社の守護虫が大ムカデ(ハガチ)らしいです。
鎌倉の今泉の白山神社の大注連縄祭りで注連縄にするムカデの足には、7本のもの、5本のもの、3本のものがあって、この7・5・3を1組として合計12組の足が作られるそうですよ。
ムカデ・百足といえば、銅山です。聖神社の銅の百足
銅の採掘穴を百足穴と呼ぶとか、百足が繁殖するように鉱業も長く栄えることを祈ったとか
大船のあのあたり、アラハバキさまがあることからも、銅も昔は掘っていたのかも。
菊理姫はムカデの銅鉱山のあかがねの姫
白山なのに、ムカデの銅鉱山のあかがねの姫でした。
菊理姫は「九九」理姫なので、
注連縄のムカデのくくり姫、九九に百、 強力な境界の神であり、鉱物・鉱業の女神のようです。
天照大日孁尊は銅と水銀と関係する
日本書紀 卷第一 第五段 一書第一
共生日神、號大日孁貴。大日孁貴、此云於保比屢咩能武智、孁音力丁反。一書云天照大神、一書云天照大日孁尊。此子、光華明彩、照徹於六合之內。 一書曰、伊弉諾尊曰「吾欲生御宇之珍子。」乃以左手持白銅鏡則有化出之神、是謂大日孁尊。右手持白銅鏡則有化出之神、是謂月弓尊。 洗左眼、因以生神、號曰天照大神 又廻首顧眄之間 則有化神 是謂素戔嗚尊 即大日尊月弓尊 並是質性明麗 故使照臨天地 素戔嗚尊 是性好殘害 故令下治根國 珍 此云于圖 顧眄之間 此云 美摩沙可梨爾
白銅鏡は銅でできています。
そして銅鏡は水銀で磨きます。
天照大日孁尊の誕生には銅と水銀と関係するようです。
菊理姫は天照大神の前に天降っていた大日孁貴かもしれません。
瀬織津姫が白銅鏡に関係するとはあまり聞きません。
大日孁貴は丹生都姫なのでしょうか?
そして、月弓尊の誕生も白銅鏡に関係しています。
「ますみの鏡」といえば尾張一宮の「ますみだ」神社です。
「ますみだ」には「白銅鏡の生産地」という意味もあります。 同じく尾張一宮の大神神社の奥宮が大縣神社とも言われています。 大縣神社のある犬山周辺は銅も採れ、三角縁神獣鏡は犬山や尾張一宮で作られたと言われています。
愛知県犬山市の東の宮古墳の三角縁神獣鏡には住吉明神の「住吉の松」とおぼしき三段になった松の模様が入っています。
廣田神社祭神、撞賢木厳魂天疏向津媛命の菊理媛命(くくりひめ)とは
港は海と陸、天と地の境にある。
住吉大社も「堺」市にある。
時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、不可共去。是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。
このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。(ウィキより)
菊理姫はあの世とこの世の境で何か一言伊奘諾尊に申し上げた。まるで「一言主」のようです。
百手祭りは、各地で行われていますが、桃手祭りと書くところもあるそうです
百=むか・もも=桃=銅
百=むか・もも=桃=銅
百足は百手のようです。
日本には「百百」あるいは「百々」で「とど」と読み、美作や信濃上伊那では「どうどう」、「百目木」や「百目鬼」、「どめき」または「どうめき」と読む。百は「ももたび(百度)」
百=むか(銅)・もも=桃=銅
桃の節句は三月三日、
九九=白で、
菊理媛命がご祭神ならば、あの世とこの世、現世と冥界の間を司る神、かと。
九九百で「くくど・潜戸」潜り戸、賽の河原の意味もあり、七五三で「くくる」注連縄でもあり、境界を守る神でもある。
伊弉諾は地上との境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓まで逃げてきた時に、そこに生えていた桃の実を3個取って投げつけると、雷神と黄泉軍は撤退していった。 この功績により桃の実は、イザナギ命から「意富加牟豆美命・オオカムヅミ命」の神名を授けられる。
今泉の白山神社の毘沙門天も菊理姫も「ムカデ・百足」をお使いとしています。
そして百足といえば聖神社の銅の百足です。
鎌倉市今泉 白山神社 菊理姫とムカデの注連縄 参照
それに和同開珎はこのあたりでとれた銅で作られました。なので「むこ」は銅という意味だと思います。
毘沙門天も軍神ですが、住吉さまも軍神です。
ホツマの瀬織津姫の「天疎」は作り話 饒速日が階段を降りたからではない
今まで読んでこられて、ホツマの饒速日が宮殿の階段降りて「天疎」りたから、瀬織津姫が「天疎向津媛命」というのは作り話ということがおわかりになったと思います。
住吉さまは出てくるけど、饒速日は出てきません。
瀬織津姫が元になって国が乱れたのなら、ホツマでは饒速日は家庭すら治められない暗愚の君主であり、君主として失格です。
ホツマの饒速日は作り話ですので、「天疎向津媛命」の解釈を読むと、古代人が書いた書ではない事が暴露されてしまってます。
だからといって、ホツマツタエの内容が全て違うということではありませんので、念のため。
ホツマツタエの作者は、江戸時代くらいの人でしょうか?
ホツマが本居宣長チックだと思うのは私だけでしょうか?
ホツマツタエの作者は、神代文字はご存知でも、万葉仮名には詳しくなかったのでは、と思います。それと現代人のほうが古代の気候やら考古学の知識があります。
それでホツマの作者は「天疎」の解釈が上手くできなくて、饒速日が階段を降りたから「天疎」という話を作り、瀬織津姫が「天疎」というようになった話を作ったのだと思います。
廣田神社の撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は菊理姫かもしれません。
菊理姫も縄文時代の温暖期が終わって、高山から暖かい平地に降りてきたから「天疎る」神かもしれないです。
銅の山の女王 菊理姫が撞賢木厳之御魂天疎向津媛命で
お金持ちの鉱山王の軍神住吉さまが向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
これは大阪編です
大阪でも撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は瀬織津姫ではありませんでした。
まだ続きます。
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