魏志倭人伝からの道程は、女王のいた国に至るまでの道のりが、
軍事的な理由で使者を連れ回したりしてわざと分からないようにされているかもしれないから
考察は、他の方にお任せするとして
邪馬台国に居ない動物というものが魏志倭人伝に載っていたので面白いなあと思いました
邪馬台国に居ない動物がいる場所を除いた地域が、邪馬台国の候補地という事になります
邪馬台国に居ない動物
「牛馬虎豹羊鵲(かささぎ)無し」だそうな
虎と豹は日本には居ないから
羊って日本に居た??
日本の羊
日本書紀によると
「推古七年(西暦599年)の秋9月の癸亥の朔に、百済が駱駝一匹・驢(ロバ)一匹・羊二頭、白い雉一羽をたてまつった。」
そうなので、それまで羊は居ないようです。
でも羊に姿が似ているけど、ウシの仲間の「特別天然記念物」のニホンカモシカは山に居ます
ニホンカモシカは「本種は、北海道と中国地方を除いた本州、四国、九州に生息する」のだそうだけど
これを羊と間違うことは無さそうです
日本の野生牛
日本の野生牛は三種類で
・見島牛(みしまうし)は山口県萩市見島
・口之島牛(くちのしまうし)鹿児島県鹿児島郡十島村、トカラ列島北端の口之島に棲息する。トカラ牛とも
・竹の谷蔓牛(たけのたにつる、たけんたにつる) 備中国阿賀郡釜村字竹の谷 (現岡山県新見市神郷町釜村)
牛がいるところは、邪馬台国ではないことになる
それで
山口県萩市見島
鹿児島県鹿児島郡(十島村)
岡山県新見市
は候補から外れる事になる
あまり、この中には邪馬台国だと言われている場所は無さそうですね
日本の野生馬がいる場所
「日本在来馬は、北海道の北海道和種(道産子)、木曽馬(長野)、野間馬(愛媛)、御崎馬(宮崎)、対州馬(長崎)、トカラ馬(鹿児島)、そして沖縄県に残る与那国馬(与那国島)と宮古馬(宮古島)の8種類です。 これらの馬の起源はモンゴル高原であると言われています。」(ウィキペディアより)
だそうで
南部馬、三河馬は絶滅
競走馬理化学研究所とネブラスカ大学などのチームが日本在来馬8品種と世界の32品種のDNAを比較し、日本在来馬は、モンゴル在来馬の祖先が対馬を経由して輸入され、全国に広がった事がわかった。まず対州馬と野間馬が分岐し、ここから木曽馬や北海道和種馬の北上するグループと、御﨑馬やトカラ馬など南下するグループに分かれ、南下グループは南西諸島経由で与那国馬まで至ったという(2020年アニマル・ジェネティクス掲載)ウィキペディアより
卑弥呼のいた場所には馬が居ないので、
卑弥呼の時代に放牧はされていないと思いますが、
仮に卑弥呼の時代にもう馬が馬が渡来していたとして
かなり乱暴ですが、これらの地域は邪馬台国ではないことになります
福岡県の津屋崎町にある渡半島に「神代に放ち給うた馬の牧跡」の言い伝えがあり、現在でも牧の大明神の祠が残っている(ウィキペディアより)
愛媛県
宮崎県
長崎県
鹿児島県
福岡県
は邪馬台国候補から外れてしまいますが、
馬は古墳時代以降に渡来したらしいので
卑弥呼の時代には日本には馬が居なかったようです。
ただ「神代の昔から馬の牧場があった」馬がいたとされている福岡県は、邪馬台国ではない事になってしまいます(神代の昔っていつだろう???)
残るはカササギ鵲です
鵲(カササギ)の居る場所
北海道,新潟,長野,福岡,佐賀,長崎,熊本で繁殖が記録されており,秋田,山形,神奈川,福井,兵庫,鳥取,島根,宮崎,鹿児島の各県,島嶼部では佐渡島,対馬で生息が確認されている.九州の個体群は400年ほど前に輸入されたものに由来するとされているが,他地域のものが自然分布かどうかは不明
侵入生物データベース より
在来かどうか不明だそうですが、侵入生物データベースのカササギ分布地の図を見ると、ほとんどが日本海側です
太平洋側地域に住んでますが、カササギは見かけませんね
大陸から持ち込まれたか渡来したけど、移動距離も短く山が越えられなくて、ほとんど人里に住んでいるそうです。
カチガラス の名称で親しまれている佐賀県は邪馬台国候補から外れますね
カチガラスは佐賀県の天然記念物に指定されてます
もし、在来種であれば、佐賀県は邪馬台国候補から外れます
カササギ生息地は
佐賀市、鳥栖市、多久市、武雄市、鹿島市、小城市、嬉野市、神埼市、吉野ヶ里町、基山町、みやき町、上峰町、大町町、江北町、白石町、太良町
天然記念物ということは、
数少ない鵲が古くからいたということです
吉野ケ里遺跡のある吉野ケ里も含まれますから
カササギ生息地の吉野ケ里は邪馬台国ではないということになってしまいます
鵲は、豊臣秀吉が朝鮮半島から持ち込んだものを放鳥したとされてます。
でも、それより古い時代に、大陸から日本持ち込まれて渡来していたかもしれません
以前調べたものですが
「昔氏初代の昔脱解(第4代脱解尼師今)が倭国東北一千里のところにある多婆那国(現在の兵庫北部等の本州日本海側と比定される)の王妃が妊娠ののち7年たって大きな卵を生み、不吉であるとして箱に入れて海に流された。やがて辰韓に流れ着き老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきた。箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたので、鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とした。長じて第2代南解次次雄の娘(阿孝夫人)の女婿となり、のちに王位を譲られた。この脱解の出身地である多婆那国は、脱解が船で渡来した人物であることを示す挿話などと併せて、日本列島内の地域に比定されている。比定地は、丹波国、但馬国、肥後国玉名郡などの説がある。『三国遺事』では龍城国とされる。」以上新羅wikiより)
丹波国と多婆那国と名も似ていることから、丹波の海部氏と思われます
海部氏系図にあるかくや姫、カグヤ姫の古い形は竹ではなくて卵から生まれたという卵生神話があります。
卵生神話より古い形が、瓢箪だと考えられます(伴とし子著『前ヤマトを創った大丹波王国』参照)
丹波あたりも鵲がもしかして、人と一緒に船で渡来した可能性がありますしし、「倭国東北一千里のところにある多婆那国」とあることから、邪馬台国候補地から外れます
馬も「神代の昔から放牧していた」(本当なら)という福岡県は邪馬台国ではないことになりますし、
カササギがいる九州佐賀は邪馬台国ではないことになってしまいます
今のところは、「昔から」鵲が居ない地域というと、邪馬台国は太平洋側に有った、という事になってしまいます
面白そうなので、他にも魏志倭人伝には邪馬台国に産するものを挙げています(つづく)
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