古代史ネットblogger版

古代史ネットhttps://kodaisi.net のblogger版です。画像が上手く移動できていないものもありますので、ご了承くださいませ。


古代史ネットkodaisi.net は橘氏について調べたのがきっかけでした。倭奴(いの)国初代天照大神の天石門別八倉姫や天石門別手力男命と各地の天の岩戸なども調べています。
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

伊勢神宮内宮の西殿には撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と東殿には天手力男命こと向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊が祀られています。
倭国「いのくに」徳島と国栖=胡人の王・向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

サイトを間違えて一度消してしまい、新しい記事を消してしまいました。 また記憶を頼りに書き直しますので気長にお待ちください・・・・
リンクは歓迎致します。
ダウンロードは禁止します。ダウンロードされた場合は1ページにつき一万円頂きます。
参考にされたら著作権法にのっとり、サイト名または記事名にリンクを貼ってください。    © 古代史ネット

・。;+;☆;+;。・゚・。;+;.。o○o。.★.。o○o。.☆☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚

©古代史ネット kodaisi.net

2021年8月10日火曜日

国栖

『儺の国の星』[儺の国の星]からの情報くらいしかないのですが、
ざっと記憶にあることを連ねておきます。
 
・国栖は縄文時代に渡来した「胡人」のこと
・国栖は北回りと南周りで渡来した
・紀元前2、3世紀までは朝鮮半島経由で渡来もできたが、現在の韓国人の祖がその土地を占拠したので、朝鮮半島経由での渡来はストップした
・ヨーロッパ・中近東などからも渡来したので、金髪碧眼の人もいた

・国栖はTahji(たーじ・太子・多氏・大石・大食)と呼ばれた。
・国栖の偉人は犬を飼っていたので「犬飼さま」と呼ばれた
 

丹生都姫の子(子孫)の犬飼明神(狩場明神・大名草彦)も犬飼さま


・鬼とは胡人(国栖・九頭)の事
・河童も胡人で、海人族は海辺と山に住み、星読みで暦の計算をし、「窮理」に秀でていたので、河童は「きゅうり」が好物ということになった
 

「土蜘蛛」はサソリのこと

・「土蜘蛛」はサソリのことだそうです。
まつろわぬ国栖を支配者は猛毒のサソリに例えた

 
・ターバンとマントを付けている人もいた
・鷹の羽を髪飾りにしていた(だから隼人??)

 
・国栖は罌粟(けし)の花が大好きで、庭には罌粟の花を植えていた。
『儺の国の星』では芥子粒から多くの国栖は少彦名を祖とするものが多いということになってました。

・国栖は塩焼きが上手く、倭人に招かれていた
・少彦名の『ラマ船』の「らま」も、何語か忘れたのですが、訳すと「船」という意味だそうです。強いて訳せば唐船
・古代人は星にちなんだ名前を付けている人が多い
・灌漑技術に優れ、天の岩戸とは灌漑池の水門という意味もあるそうです。
またその上の天の岩戸の磐座は古代は巫女が火を灯していたそうです。その火はオロチの目などに例えられていたそうです。
 
あと、これは四国で見聞きしてきたのですが、四国では大麻栽培を広めたのも手力男の子か孫(大麻彦)となっているので、大麻や罌粟にしても中近東系の植物を広めたようです。
徳島では猿田彦が藍染めを伝えたということです。

『儺の国の星』には苗族関係の話はありませんが、渡来するときに中国経由で来たので、苗族が日本にもたらしたものも、国栖がもたらしたものと重複しているものもあると思われます。
 
武蔵国大地主神は手力男の祖父の櫛真智命で、武蔵御嶽神社のご祭神で、あのあたりは犬狼信仰が盛んですが、国栖の一族の「犬飼さま」であったと思われます。
国栖の長がステータスシンボルとして犬を飼っていたために、犬狼信仰となったのかもしれません。
狩場明神(犬飼明神・大名草彦)は国栖の祖とされる丹生都姫の子(子孫)で、やはり国栖の長の「犬飼さま」で、犬は国栖の長の身分を表すシンボルとして描かれていると思われます。
今は「犬飼星」(鷲座の彦星)に名をとどめるのみで伝承は忘れられていると『儺の国の星』の著者は書いておられます。

<追記>
ヤマト・大和は元は「倭」と書いて、以前、ピンインのよみを調べたところ、説文解字では音は「委」と読むとあって、「倭」は「イ」と読むということがわかりました。
倭と大和をダイワして「倭・大和」をヤマトと読むようにしたという説もあり、また
倭と書いてあったのを、大和と書き替えられたものもあります。
「倭」ですと、「倭」が入る神社名は四国の徳島にしかないんです。「イヨ」の国の「イの国」で、もしかしたら、「ヤマト」の一派と大同して、「大和」となったのかもしれません。
沖縄に「上の森」で「いーぬもー」と読む地名があります。国栖が住んでいたのは、山の「上」と海べりなので、「いーぬ・上ヌ」を「倭奴」と万葉仮名のように当て字で書いて、それが学者の不勉強から「倭=わ」と読むと私たちは思いこまされていたのかもしれません。
国栖の偉人の犬飼さま(井光・井開・猪飼・犬飼)の「イヌ」かもしれないです。
 
徳島にもスサノオ伝説ですとか、あります。
海人族なら、全国移動しているので、全国廿浦浦、どこにあってもおかしくないです。
蠅姫・ハエ姫は南風で「ハエ」と読むので、今も沖縄で「南風」でハエとよんでいる地名がありました。
でも、コチで東風というように、古い言い方で万葉時代の頃も使われていたので、特定の地域ではないかもしれません。
ハエ姫の蠅の字ですが、以前、「ボウブ」を調べたところ、亀とか蛙とかの形からだというように漢字語源辞典にあったのですが、『儺の国の星拾遺』でしたかに元は「サソリ」の形だという説がのっていて、だとすると、まつろわぬ国栖=土蜘蛛=蠍ですので、蠅姫と書いてあるので、「ハエ」姫と読んでいますが、もしかしたら、サソリ姫という意味で、土蜘蛛姫、という意味なのかもしれません。
ハエ人から隼人になったとすると、土蜘蛛人(サソリ人)からハエ人・ハヤ人で、鷲の羽を髪に飾っていたため、隼人といいう字をあてたかもしれません。
だとすると、隼姫なのかもしれませんし、国栖の蠍の姫という意味で、「蠅姫」と表記されたかもしれせん。
国栖の中でも隼人は、南から北上してきた人達という伝承があるそうです。
隼人は南方経由の人達だとはいえると思います。
南人(はえひと)から「はえ人」、はやと、隼人となったのかもしれません。