倭大国魂神社
住所 徳島県美馬市美馬町東宮ノ上3
行き方
徳島空港から徳島駅まで
徳島駅から徳島線で阿波半田駅下車(一時間に一本あるかないか)
徒歩で2km強というところか
・・・・阿波半田駅周辺は・・・泊まるところなし・・・タクシーいなさそう
駅から歩いていけるかしらん?
また徳島駅近くのホテルに泊まってそこを拠点に動いたほうがいいのだろうか?
〒779-3600 徳島県美馬市美馬町東宮ノ上の地図
『日本書紀』の第10代崇神天皇紀6年に
「天照大神・倭大国魂、二神を天皇の大殿の内にお祀りしたとある。」
『延喜式』では「倭大国魂」とつく神社は他にはないそうです。
倭大国魂=手力男なので、手力男と妻神の天照大神を夫婦で祀っているようです。
Googleマップでみてびっくりしたのですが、
倭大国魂神社と倭国魂神社と大和神社と大國魂神社は一直線
四国の徳島の倭大国魂神社
淡路島の倭国魂神社(兵庫県南あわじ市榎列山所)
奈良の天理市の大和神社
府中市の大國魂神社
は、ほぼ一直線上にあります。びっくりです
一直線上にあるということは、目的を持ってその場所に祀っていると思える。
ご祭神も同一か密接な関係があると思える。
忌部の東進か?
ご祭神はそれぞれ
四国の徳島の倭大国魂神社
天照大神
倭大国魂(手力男)
淡路島の倭国魂神社(兵庫県南あわじ市榎列山所)
こちらは奈良の大和坐大国魂神社(大和神社)を勧請した神社で、大和大圀魂命
奈良の天理市の大和神社
現在は
日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)(中央)
八千戈大神(やちほこのおおかみ) (向右)
御年大神(みとしのおおかみ) (向左)(大和神社のサイトより)
BC475 孝昭天皇元年7月
「夢告により 天照大神と 倭大国魂神 を大殿の内に並祭する」(大和神社のサイトより)
とあって、最初のご祭神はやはり天照大神と夫神の倭大国魂(手力男)だったようです
丹生川上の主祭神高龗神は、高龗神社の分祀だそうです。
丹生川上神社は最初は丹生都姫を祀っていました。
丹生都姫は二代目の天照大神で、天照大神と手力男の娘(or 孫)に当たります。
崇神朝に倭大国魂神を淳名城入姫命に託して市磯邑に祭る、とあって、城上郡の穴師兵主神社の地に渟名城入姫に託して祭ったが、髪が抜け落ち祀れないため、垂仁朝に長尾市によつて現大和神社の地に祀ったそうです。
長尾市は井光姫と椎根津彦(手力男の次妃豊玉姫の連れ子)の子孫なので、やはり手力男の一族と密接な関係があります。
長尾市の子孫の長尾神社で伺ったのですが、長尾神社の宮司家は橘氏だそうです。それがなぜか藤原氏ということになっているそうです。
大和神社のご神紋も橘で、橘氏も手力男の子孫です。
大和神社のご祭神の紋が橘ということは、長尾市の子孫もまた橘氏なのでご神紋が橘ということになったのかもしれません。
縣犬飼・犬飼氏が手力男を祖として祀っていて、長尾市も手力男の子孫であったために倭大国魂(手力男)の祭祀ができたということでしょう。
当時は氏神は自分の子孫以外の祭祀を拒みますから、
・淳名城入姫命は手力男の子孫ではない
・長尾市は手力男の子孫であったということになります。
縣犬飼三千代の子孫が橘氏だとおもってましたが、手力男の子孫が橘氏ということになるかもしれません。
府中市の倭大国魂神社
こちらは大国主と同神とされるとあって、大国主なのでしょうか?
大国主というのは「大きな国の主」というので、特定の誰かということではないのですが、手力男も初代天照大神の夫であるので、「大国主」の一人でもあるとは言えます。
地図を見たら面白いことがわかったので、記事にしてみました。
古代史ネットkodaisi.net は橘氏について調べたのがきっかけでした。倭奴(いの)国初代天照大神の天石門別八倉姫や天石門別手力男命と各地の天の岩戸なども調べています。 「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王 伊勢神宮内宮の西殿には撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と東殿には天手力男命こと向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊が祀られています。 倭国「いのくに」徳島と国栖=胡人の王・向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊 「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王 サイトを間違えて一度消してしまい、新しい記事を消してしまいました。 また記憶を頼りに書き直しますので気長にお待ちください・・・・ リンクは歓迎致します。 ダウンロードは禁止します。ダウンロードされた場合は1ページにつき一万円頂きます。 参考にされたら著作権法にのっとり、サイト名または記事名にリンクを貼ってください。 © 古代史ネット |
0 comments:
コメントを投稿