古代史ネットblogger版

古代史ネットhttps://kodaisi.net のblogger版です。画像が上手く移動できていないものもありますので、ご了承くださいませ。


古代史ネットkodaisi.net は橘氏について調べたのがきっかけでした。倭奴(いの)国初代天照大神の天石門別八倉姫や天石門別手力男命と各地の天の岩戸なども調べています。
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

伊勢神宮内宮の西殿には撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と東殿には天手力男命こと向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊が祀られています。
倭国「いのくに」徳島と国栖=胡人の王・向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

サイトを間違えて一度消してしまい、新しい記事を消してしまいました。 また記憶を頼りに書き直しますので気長にお待ちください・・・・
リンクは歓迎致します。
ダウンロードは禁止します。ダウンロードされた場合は1ページにつき一万円頂きます。
参考にされたら著作権法にのっとり、サイト名または記事名にリンクを貼ってください。    © 古代史ネット

・。;+;☆;+;。・゚・。;+;.。o○o。.★.。o○o。.☆☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚

©古代史ネット kodaisi.net

2017年2月6日月曜日

「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

倭国「いの国」天岩戸立岩神社 徳島県名西郡神山町鬼籠野字元山

の記事があまりに長いため、独立させました。

「倭」は阿波のことか?

仙覚法師が『阿波国風土記』を引用したものには

「天(そら)よりふりくだりたる山のおほきなるは、阿波国に降り下りたるを、

天の元山という、その山の砕けて、大和国に降り着きたるを、天のかぐ山といふとなん申す」とあり

そらが剣山で、

元山が名西郡神山町鬼籠野字元山で、

記紀の天の岩谷戸の天の香具山だという説があります。

大和国とあるのは、仙覚が『阿波国風土記』に「倭」(やまと)とあるのを後世の大和に置き換えたのではないかという説があります。

私も行きましたが奈良の天香具山3 天岩戸神社の七本竹と伊勢の七本鮫とシリウスと昴乙女と 、下は天の香具山の天岩戸神社です。看板の写真です

倭国は四国の「イの国」徳島のことか?

以前、「倭」の読みをしらべたことがありました。

魏志倭人伝の「倭国」は発音を卑字の「倭」にあてたのでしょうか?

しらべたら、説文解字では「倭」は「委と発音する」とあって、

委の発音は「イ」にしかならないので

 

「イ奴国」で「いぬ国」「いの国」のどちらかなので、徳島は「イの国」ですので、倭国は「いのくに」の徳島になってしまいます。

ということは手力男たちがいた四国、吉野川添いの徳島であっています。

倭とつくものは倭大國魂神社(徳島県美馬市美馬町字東宮ノ上)のここしかないそうです


淡路島の大和大国玉神社は大和からの勧請だそうです。

委奴国は徳島で決定、と思ったのですが
移動してますね「イ」の国は。
彼らが行くところが「イ」の国になるのでは?だから九州も四国もヤマトもみんな「委国」になるのではとおもいました(笑)

手力男の代は四国にいて、吉野に進出したくらいだとわかっていますが、吉野川を船に乗って移動していたようです。

それで 倭=大和 もどちらもいまは「ヤマト」と読ませます。

倭のピンインを調べてみた

倭なら
ピンイン「wo」wō (wo1)
呉音 : イ(ヰ)、ワ
漢音 : イ(ヰ)、ワ

後漢の「説文解字」によると、
倭は「順皃従人委声」で「人部に属し、委と発音する」(後漢・説文解字)

それで委はというと穂先の垂れた稲の形象と、女性で「なよやかな女性」を意味する字です。

は穀物の女神オオゲツ姫を象徴していると思います。

委は呉音・漢音ともに  イ(ヰ)
ピンインはwēi [異読音] wěi
広東語 では wai1, wai2

委と倭でも発音としておかしくないのは、徳島かも
「いぬくに」=委奴国ですし、いわゆる「倭国」は徳島なのかも
「い」ですと井開=猪狩=犬飼さんたちの国で、「いのくに」東北弁や出雲弁でもウ音便化して「いぬくに・委奴国」の発音になるから

「襲・をそ・そ」は「犬」という意味があるそうです。

襲は白い雪を頂く山々が連なっているという意味

<加筆訂正>

襲という字は『儺の国の星 拾遺』によると、白い雪を頂く山々が連なっているという意味だそうです。

そして白くたなびく銀河の渦の裳裾の重なりをも意味するそうです。

もうちょっと読み込んでまた加筆します。

今回たまたま雪の日に山に行ったわけですが、偶然なんですが、「襲」が隼人のことだとしたら、星読みの星信仰の海人族らしい山に雪が降りた日(?)にお参りしたのだなあと思ってしまいました。

 

国栖の人達は縄文時代に日本に来たのですが、遠く中東やヨーロッパなどから来ているそうです。

まあ、もっと昔に日本にいて、そこから出てまた帰ってきたのかもしれないですけどね。

<加筆修正以上 また加筆します>

 

八倉姫神社の『天石門別八倉比売御本紀』の「いの神璽」とは「倭」(い)の神璽

金印の「委奴国」もありますが、八倉姫神社の『天石門別八倉比売御本紀』には、天石門別八倉比売神社の奥の院(神陵)に「いの神璽(亻に者)」を水銀朱で覆い隠したそうです。「いの神璽」とは「倭」(い)の神璽だと思われるそうです。

もしかしたら、奥の院には「倭」(い)の神璽が埋まっているのかもしれないですね。

四国の次は大和が「倭(委・イ)国」になったのは、海神族は移動しているから「倭国」は海人族がいるところなら、次は大和が「倭国」になっただけかもしれないですね。

また新たなことを調べたら加筆します。

 

「上」を「い」とよむ

たまたまじぶんのブログで沖縄の看板を見て「上」を「い」とよむのを見つけました。
写真は  首里城 首里森御嶽 あすか森御嶽 沖縄旅行2より

こちらは別ブログからですが、「上の毛」(イーヌモー)の「いーぬ」で「いの・いぬ」と同じですね。もしかしたら、上(高い場所・高山)から来たから「いぬ・いの」かもしれませんし、徳山には剣山という高い山があるから「いぬ・いの国」かもしれませんよ。 もしかしたら、もっと高い山からかもしれませんけどね。

徳島は「いの国」というそうですが、「いの国」も「上の国」と書けるな、と。

 

委は穂先の垂れた稲の形象でなよやかな女性を意味する字

 

委はというと穂先の垂れた稲の形象と、女性で「なよやかな女性」を意味する字です。

まさにオオゲツ姫の国だと思いました。

呉音・漢音ともに  イ(ヰ)

真澄探當證を読んでいても「大和」とは絶対に書かず「倭」と書いているんです。大和と「倭」と違う国だったからこそ区別しているのではと。

天皇の第一皇子の宮家の側近が記録したものですから、その辺はきっちりと区別して書いてあると思います(後世の手が加えてなければ)

現在、真澄探當證https://masumitantoushou.kodaisi.net/「真澄探當證を読む」も進めてますので、そちらもご覧下さい。

 

 

「上の国=いぬ国・いの国」から日本人を貶めようとして

「犬」(中国・韓国系は犬を卑しいものとする)の意味をあたえたのかもしれないと思いました。

でも、縄文時代に渡来した国栖の貴人は犬を連れていたので、

縄文時代の貴人は「犬飼さま」と呼ばれていました。

昔の西洋画を見ても王侯貴族が大型犬を連れていたり、小型の室内犬と一緒に貴婦人が描かれています。

やはり犬を賤しいものとするのは、犬を食べる中国韓国系の考え方なのだと思います。

 

この記事は、

倭国「いの国」天岩戸立岩神社 徳島県名西郡神山町鬼籠野字元山

の記事があまりに長いため、独立させました。