国見する女神丹生都姫 丹生川上神社
この記事は、私の他のブログの過去記事 より移転したものに、加筆しました。重複して纏まってない部分もありますのでご了承ください。別のサイトより移転したものに、加筆しました。
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国見する女神丹生都姫 丹生川上神社
丹生の地は鉄産地をも意味したそうです。
鉱物の神は丹生都姫、朱の大神、真朱(まほそ)の姫、金精明神、古田(フルタ)大明神、弁財天などと呼ばれていました。 吉野では時代が降るにつれ、鉱物資源も輸入され、水銀採取も廃れていき、律令国家の穀物生産のための、おかみや水分信仰が盛んになる。
そのため、祭神が丹生都比売大神であったのが、ミズハノメや瀬織津姫のような水神信仰になっていきます。
それ以前は丹生都比売大神が信仰されていました。
丹敷戸邊も名草戸部も丹生都比賣の一人
神武天皇によって殺された紀伊のニシキ戸邊も丹敷戸邊と書かれたり、丹生都比賣は丹敷戸邊のことだという説もあります。
神宮皇后は丹生氏の協力もあり、反乱軍に勝利した後、吉野の銀峯山山頂で、国見を行った際、丹生氏の祖霊で国津神の丹生都比売大神・朱の大神は伊弉諾伊邪那美の養女という資格で、 天津神に昇格され、天津神丹生都比売大神として、国見したまう、と神領安堵しました。
丹生大明神告文の前段には、
「丹生都比売大神の大神と大御名を表し給いて、川上の水方の峰に上りまして、国かかし給いて・・・」 とある。」(「天河への招待」大山源吾著参照)
丹生大明神告門(ニフタイミヤウシンノノリト)
大御名(おおみな)を申さば恐(かし)こし、 申さずば恐(かし)こき伊佐奈支(いざなぎ)伊佐奈美(いざなみ)の命(みこと)の御子、 天の御蔭(みかげ)、日の御蔭(みかげ)、丹生都比賣(にうつひめ) の大御神と大御名(おおんな)を顕はし給ひて、 丹生川上、水分(みくまり)の峯(みね)に上り坐(まし)て国かかし給ひ、 下り坐(まし)て十市(といち)の郡(こおり)、丹生に忌杖(いみづえ)刺し給ひ、 下り坐(まし)て巨勢(こせ)の丹生に忌杖刺し給ひ、・・・ 、
「忌杖刺し給ひ」とは、神地の四至に杖を刺して標識とし、ここを中心してその地方を開拓されたという意味だそうです。
「【杖】より…【岩倉 博光】 神功(じんぐう)皇后が新羅(しらぎ)の国主の門に杖をつきたてたと《古事記》にあるのは,杖が占有権を表示するものであったことを示している。このため杖は境界を限る?示(ぼうじ)としての役割を果たし,とくに俗界と聖界の境を示す場合,忌杖(いみづえ)と呼ばれている。また杖立(つえたて),杖突(つえつき)などの地名にまつわる伝説もこれと関連することが多い。… 」(以上、岩倉 博光氏「【杖】より)
かかし=そほどは国かかし・国見をする支配者だということです。
丹生都比賣は太陽神
しかも、国かかしに加えて、天の御蔭、日の御蔭、、まで
天の御影=天の香語山の日陰葛=蘿(ラー)で、丹生都比賣は太陽神でもあったのです
丹生都比売神社の説明にも、丹生都比売大神は、天照皇大神の妹神で稚日女命とも申し上げ、とあります。
また丹生都比売が亡くなった時、天野に 『朝日なす輝く宮、夕日なす光る宮に常世の宮として鎮まり給う』
とあります。
『皇御孫(すめみま)の命(みこと)の宇閇湛(うこへ)の任(まにま)に 於土(うへつち)をば下に掘り返し、下土(したつち)をば於(うへ)に掘り返し、 大宮柱(おおみやばしら)太知(ふとし)り立て奉り給ひ、 高天(たかま)の原に知木(ちぎ)高知り奉り、 朝日なす輝く宮、夕日なす光る宮に、 世の長杵(ながき)に常世の宮に静まり坐(ま)せと申す。』
丹生氏発祥の地、愛知県の大縣神社の祭神は不明で、アラハバキとされていますが、丹生氏の丹生都姫、朝日なす輝く宮、夕日なす光る宮 ではないでしょうか?
「大神様が鎮まり坐す尾張本宮山は大縣神社の神体山として、古来より「日出る山」「朝日の射す山」と云われ、古来より朝廷を始め、武家民衆からも篤い信仰を集めております。本宮山は悠久の歴史の中で様々な民話・伝統を有しております。なかでも、「山姥物語」や「山の背比べ」などの話は著名で、今日まで語り継がれております」大縣神社のサイトより
丹生は古語では「には」と読みます。
「には」に漢字をあてると丹羽です。丹生は「には」と読めます。羽羽姫もニ羽です。
尾張は丹羽姓の発祥地だそうです。(大縣神社のサイトによる)
同級生に丹羽ちゃんがいました。
丹生都姫は丹生川上、水分の峯に上り坐て「国かかし」給ひ
天皇は天香久山で「国かかし」を行いました。
丹生都姫は天御蔭(大王以前の称号)だったのでしょう。
波宝神社
三代実録によると貞観八年(866)11月四日乙巳波宝波比売併授従三位とあり。金峯山(黄金岳)の波比売神社と古来より密接な関係にある。
この波宝神社は古代は小竹宮(シヌノミヤ)、若桜宮といわれその後、神蔵大明神、古田大明神ともいわれたという。明治初年まであった神宮寺には神功皇年まであった神宮寺には神功皇后の念持仏と云われる新羅産の黄金仏があった。 「フルタ」には精錬の村という意味があったという。
大和国吉野郡式内で銀峯山鎮座の波宝(ハハウ)神社の祭神ももとは丹生都姫(波比伎神)で、黄金岳鎮座の波比売神社も丹生都姫を祀る」
・大和国吉野郡式内で銀峯山鎮座の波宝(ハハウ)神社の祭神は丹生都比売大神
・黄金岳鎮座の式内波比売神社も祭神は昔は丹生都比売大神であったが、現在は、応神天皇とミズハノメに入れ替わったという (このあたり参考資料「天河への招待」大山源吾著)
小竹宮(シヌノミヤ)は太陽(月)の宮
気になっていたのが
沖縄の言葉でシナというのは太陽のことで、「シノ」というのは月と太陽を含んだ天体のことだそうです。
小竹をわざわざ「シヌ」(シナかシノがウ音便化したのかも?)と読ませるのは、そこに太陽か月の宮という意味をもたせたかったためだと考えました。
シヌの宮というのは、日蝕が起こったためか?
神宮皇后が忍熊王を攻める作戦を練る ために小竹(しの)宮に遷ったときに、そこでは昼でありながら夜のように暗い日が続いた。
その原因は天津神・国津神の子孫を合葬したため「阿豆那比(あづなひ)の罪」だということになった。小竹祝・天野祝を同じ穴に合葬したためというのだ。戦勝ののちに丹生都姫を天津神として格上げすることになった。
夢の淵 丹生川上神社中社近くの夢の淵で筆者撮影 撮影しながら丹生都姫の忌杖が思い浮かびました
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<丹生川上神社の記事>
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- 丹生川上神社中社の元宮 ひもろぎ
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- 三日比売は丹生都姫 豊雲野大神は・・丹生川上神社は大和にあった
丹生川上神社中社(神武天皇の夢の淵の近く)

Googleの地図では夢の淵は「夢淵」と表示されている
波宝(ハハウ)神社の壁画には日蝕の太陽を月の影が覆う場面が描かれており、また天岩戸を開ける場面が門に掲げられている。
やはり父の手力男が岩戸を開け、本来は娘の羽羽姫(丹生都姫)が天照であったのが、天孫族に服属した隼人のするわざおぎ(俳優)のアメノウズメ(=萬幡秋津姫・羽羽姫)として描かれている。
本来の丹生都姫は天照大神であったと思います。
神宮皇后の話が被さってご祭神も神宮皇后になっていますが、本来は丹生都姫のシヌの宮(太陽の宮・日月の宮) であったと考えています。
丹生都比売大神(波比伎神・波姫・ハハウ神)は
・国かかし
・国見をする支配者であり、太陽神であり
・国土・鉱物・鉱業・水の女神 でもあるのです。
なので、「太陽の宮」または日月の宮という意味で「シヌノ宮」と呼ぶのだろうと考えます。
戸隠神社鎮座考に書いてあることが正しければ、
・羽羽姫がアメノウズメで隼人のする俳優をしていること、
・シヌ(太陽と月)という古い沖縄の言葉を使っていることから、丹生都姫は南方系の子孫らしいこと。
沖縄は今でもヒヌカンサー(火の神)と言いますね。
現代の沖縄の言葉のヒヌ(日の)の「日の」を出雲・東北訛りで読むと「シヌ」になります。
沖縄・アイヌの人あたりは朝鮮半島から人が入って来て北と南に追いやられたらしいです。
沖縄から来た人達か、アイヌの東北のや出雲の訛りでヒヌがシヌになたのだろうと思います。
そして丹生都姫は国栖の祖とも言われています。
吉野の大蔵神社には大倉姫やいわほおしわく命(手力男命)と鹿葦津姫(コノハナサクヤ姫)を祀っており、先祖を氏神として祀るので、姶良にいた阿平津姫(鹿葦津姫)を祀っているということは、国栖の人達の先祖の一人が姶良の鹿葦津姫だったということになります。
天香久山(天香語山)の「ははか」と波比伎
朱桜を「にはざくら」と読むのは「朱の大神」丹生都姫の「丹生(古語では「には」と読む)」でしょうか。
天香山主櫛真命神社とあるのも、手力男たちタカミムスビの一族で、丹生都姫が手力男の娘の羽羽姫なら、同族です。
金剛山は丹生都姫の領地です。
丹生都姫は金剛山を空海に貸しました。「ははか」が硬いから金剛かもしれません
瀬織津姫を「勅命」により祀る建水分神社は「金剛山鎮守」
天香久山の「櫛真智命」
武蔵一宮の小野神社の小野神社の祭神は丹生都姫アラハバキと櫛真智命から瀬織津姫と天下春命に変えられました。
武蔵小野神社の祭神は瀬織津姫ではなく丹生都姫と櫛眞智命だった 御嶽神社
天香久山の頂上の「国常立」の隣の「おかみ」神も、おかみ神に変えられた丹生都姫です。
丹生川上神社の元宮 タカオカミ・雨師明神は丹生都姫だった
丹生川上神社の元宮、は大和神社の摂社雨宮で、タカオカミ・雨師明神とされています。
三日比売は丹生都姫 豊雲野大神は・・丹生川上神社は大和にあった
絵馬は丹生川上神社中社の雨乞い・晴れ乞い(?)に奉納された絵馬。
雨乞いのため、朝廷から馬を奉納されていたそうです。
大和神社
日本大国魂大神
神紋 橘
摂社 タカオカミ神社「雨師明神」、延喜式では丹生川上神社の元宮とする
水銀が廃れ、橘奈良麿の変で橘氏側に付いた丹生氏は、政治絡みで丹生氏の名前を出さないようにするためにも、丹生都姫の名前を隠し、農業の水の女神として水神として、タカオカミとして祀っているようです。
武蔵一宮の小野神社は、丹生氏が橘氏側で、反藤原であったため、その後、アラハバキ・丹生都姫と櫛真智命の名を隠し、藤原氏公認の瀬織津姫と天下春命を祭神としたのではないでしょうか?
武蔵小野神社の祭神は瀬織津姫ではなく丹生都姫と櫛眞智命だった 御嶽神社
藤原氏の律令国家と農業推進に水の女神の瀬織津姫でしたら出しても構わないということだったのでしょう。
弁財天・丹生都比売大神(波比伎神・波姫・ハハウ神)
丹生都姫、弁財天、朱の大神、真朱(まほそ)の姫 金精明神、フルタ大明神、弁財天 「朝日なす輝く宮、夕日なす光る宮」のワカヒルメ
朝日さす朱桜の姫は丹生都姫(にはさくらは本当は地味です)
また田殿丹生神社のブログによると 丹生都姫は大名草彦命(高野大明神・犬飼明神・狩場明神)の母(または祖)でもあります
名草戸部も丹生都比売大神の子孫のようです
持統天皇と不比等に隠されたのは瀬織津姫ではなく丹生都姫
吉野に逃れた大海人皇子を匿ったのは、弁財天(丹生都姫・アラハバキ)を祀る吉野の水銀を採掘していた丹生氏たちの豪族です。
天武天皇を助けたことで強大になった吉野の丹生氏や井氏(役小角の弟子)の勢いをそぐために
政治絡みで天武朝に丹生氏の祖・水と丹の丹生都姫が隠されて、吉野の鉱物資源もつきてきたため、律令国家の礎の農業の水の女神になってしまったので瀬織津姫ともいえるのですが
天武天皇の頃まで「比売」といえば丹生都姫
天武天皇くらいまで「比売」といえば丹生都姫
そして井光姫=豐水富姫も丹生都姫、「比売」であったのです。
謡曲「香椎」で「我はこれ。神功皇后の妹。川上の明神豊姫」というのは、神宮皇后が反乱を抑えた時、吉野の銀峯山山頂で、国見を行った際、丹生氏の祖霊で国津神の丹生都比売大神・朱の大神は伊弉諾伊邪那美の養女という資格で、 天津神に昇格され、天津神丹生都比売大神として、国見したまう、と神領安堵しました。
丹生都姫は天照大神の妹という資格で、天津神に昇格され、天津神丹生都比売大神となりました。 謡曲では、神功皇后を天照大神としているので、「神功皇后の妹」と名乗っているようです。
井氏と角氏に分かれた井光姫の子孫は、役小角に心酔し、弟子になります。 それが前鬼・後鬼と言われています。 天河弁財天の宮司様のご先祖様です。天武天皇に役小角を紹介したのも井光姫の子孫です。
女王の称号は「天照大神」?
女王の称号が「天照大神」かもしれません。
「真澄探當證」でも、「天照大神が大日孁貴であった頃」とあるので、女王の称号が「天照大神」かもしれません。
天河弁財天は能の発祥地であり、丹生川上の丹生氏の丹生都姫、井光姫も名草戸部も丹敷戸邊も丹生都姫でした。
丹生(には) 丹生都姫 丹羽の姫
市杵嶋姫命(加夜奈留美)も丹生都姫
以前、丹生川上神社にお参りしたとき、丹生川上神社上社の社殿が飛鳥坐神社に移築されたとききました。
それは丹生川上神社の元のご祭神・丹生都姫が神南火飛鳥三日女神として祀られているからでしょう。
丹生川上神社中社 丹生都姫 忌杖の旅始まりの地
上社のあとで、丹生川上神社中社に参拝して、三日女神が丹生都姫だとわかりました
飛鳥坐神社
御祭神:事代主神、高皇産靈神、大物主神、天照皇大神、 神南火飛鳥三日女神 等。
由 緒:初め大穴持命、杵築宮に鎮り坐す時、法子賀夜奈流美神の法魂を 飛鳥神奈備に鎮め奉った。
加夜奈留美は、高照姫の一名だという。
[筆者注]高照比賣命: 旧事本紀によれば、大己貴神の御子で、母は宗像の邊津宮に坐す 高津姫神。 古事記には、大國主神と多紀理毘賣命との間に生まれた高比賣命 またの名下光比賣命がある。 この下照姫命と高照姫命とは同一女神に坐すとする説がある。
夢の淵

夢の淵
神武天皇の東征に際し、天神が天皇の夢の中に出現し、「天の香具山の赤土を取って平瓮八十枚と厳瓮(いつへ・斎瓮、御神酒瓮)を作り、天神地祇を祀れば賊は平らぐだろう。」と託宣した。
神武天皇はシイネツ彦たちを香具山にやって丹土を採って、丹生の川上で、作った平瓮で水銀アマルガムを作ったり、斎瓮を丹生の川に沈めて神意を占った。厳瓮の熱と水銀で魚が浮かんだのでしょう
それが丹生川上神社中社近くのこの場所だといいます。
三日は三日たたらの女神であり、「甕・みか」は簡易型水銀の精錬用の甕の「はそう」のことです。
丹生川上神社中社の鏡が三つ並んでいる拝殿を見て気が付きました。
三鏡も「みか」三日=甕
昔は小型の「はそう」を持って何日か山にこもったそうです。
それを三日たたらといいます。
鏡は昔は水銀で磨いてました。(このあたり「天河への招待」大山源吾著 参照))
丹生都姫は三玉照姫・天津甕姫
丹生川上神社の社殿の三つの玉、お守りになっている水晶玉も三つで、 三日=甕=晶、星で、(天津)甕姫
星という字の旧字は日が三つ、輝くものが三つです。
玉が縦に見つつ重なった字を玉というそうです。
玉が扁になると、玉の点が省かれて王になります。
→王 〇〇〇
翡翠の玉を持つものが王
三つの玉を持つ丹生都姫は天津甕姫で、女王だったのでしょう。
天の御蔭(みかげ)、日の御蔭(みかげ) の
三日比売=甕、(天津)甕姫=天三玉照姫=丹生都姫
やはり女王国があったのでしょう。
丹生都姫はかつて女王だったのでしょう。
国見する女神、丹生都姫大神
宮司様は丹生都姫の忌杖の旅はここから始まったとおっしゃってました。
丹生都姫の忌杖挿す「国見」の旅の始まりの地です。
神武天皇はそれを踏まえてここでパフォーマンスを行ったのです。
そして、丹生都姫は丹生氏が神宮皇后を助け勝利したため、天津神に格上げされたとされます。
私の推理が正しければ、天津三日姫=天津甕姫=丹生都姫です。
加夜奈留美 神南火飛鳥三日女神は丹生都姫だとすると、加夜奈留美も丹生都姫
天津甕星とペアなのは天津甕姫の丹生都姫です。
ということは羽羽姫と手力男は夫婦ではなく、親子でペアなんでしょうか?
国かかしの案山子神ですが、『消された物部氏天津甕星の謎』によると、久延彦=そほづ=案山子で、古今集の「足引の山田のそほづさえ我をほしといふ嬉ばしきこと」の、『そほづ』が『ほし』の掛詞になっていて、『山田のそほど』は『星』と結ばれる語だそうです。
天津背男こと手力男は天津甕星であってるんだ・・・・
『足引の』は『悪佐伯(あしひきの)』と解釈でき、佐伯は『蓋ぐ(さえぐ)』に由来し、大和朝廷に抵抗をした部族であり、『悪ひき』はこの先住民に対する蔑称だそうです。
国譲りに抵抗した天津甕星のことを示している、とのことです。
ソホ=赤で、ド=人で、赤人
かか=嚇で、嚇人
ソホドは星につかながる。
天津甕星だそうです。
・・・もしかしたら、井光姫は神武を助け、丹敷戸畔は戦闘になってしまって討たれたけど、丹敷戸畔と井光姫も同族どうしだったのかなあとおもったりもしました。
夢の淵

丹生川上神社中社のちかくの夢の淵で私が撮影した写真です。
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<丹生川上神社の記事>
→王
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