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古代史ネットkodaisi.net は橘氏について調べたのがきっかけでした。倭奴(いの)国初代天照大神の天石門別八倉姫や天石門別手力男命と各地の天の岩戸なども調べています。
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

伊勢神宮内宮の西殿には撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と東殿には天手力男命こと向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊が祀られています。
倭国「いのくに」徳島と国栖=胡人の王・向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

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2025年3月27日木曜日

天石門別神社参拝(天岩戸別神社、三社皇大神宮、三社様、三所様、天石門別豊 玉姫比売神社の元社)

今回は手力男を祭神とする天岩戸別神社(天石門別神社) です。
 
天石門別神社(三社皇大神宮、三社様、三所様)
徳島県名東郡佐那河内村上字牛木屋15番
ご祭神
天手刀雄神 あまのたぢからおのかみ (相殿)
天照皇太神 あまてらすおおみかみ(左側)
豊受皇太神 とようけのおうかみ(右側)

天石門戸別神社の最寄りバス停は北山西

「阿波ナビ」では、徳島バス佐那河内線「北山」下車→徒歩60分 となっていますが、バス停は北山東と北山西なら見つかったのですが、北山が見当たらないので、東西に分かれたのでしょうか? 既に情報が古くなってました。
最寄りのバス停がはっきりしません。
佐那河内村の役場(どれが代表かわからなかったので、とりあえず088-679-2971にかけた)に問い合わせてみたら、北山西が一番近いとのことでした。
でも地図でみても、徒歩で歩いた人のサイトhttps://kn8.jpn.org/tm/course/tokusima11/t11_004.htmlを見ても、北山東のバス停から「四国のみち」というのを、音羽川に沿って南に進むのが解かりやすそうです。
音羽川に沿って、川沿いの車道を行き、ずんずん、ずんずん川沿いに進むと大河原高原道路案内図があるので、それで天岩戸別神社に行く道を確認して、さらに進むと、左手に一番目の鳥居が見え、さらに進むと大きな天岩戸別神社の案内板が出てくるようです。
やっと佐那河内村のホームページに絵地図があるのを見つけました。でもこれを見ても道はまったくわかりません。
泣きそうになります。(後から役場で地図をいただきました)
 
四国のブロガーさんたちはみなさまバイクやお車お持ちの方で、他県から徒歩の人間が行った記録はネットには一切ありません。
徒歩て゛参拝や観光する人間はあまりいないようです。
佐那河内村役場にお電話したとき、佐那河内村の役場の方で詳しい方が、もしかしたら案内してくださるかもしれないとのことで、また連絡することになりました。佐那河内村役場にも、もう少し詳しい地図があるそうですので、立ち寄っていただくことにします。(役場の方がご親切にお車で連れて行ってくださいました)
 
宿泊もまるこハウスさんは、佐那河内村役場の方が聞いてくださったところ、お休み中でしたので、徳島市内に宿はとって、バスで来たほうがいいということになり、徳島市内の駅に近いホテルをとることにしました。バスで徳島駅前から佐那河内村役場近くのバス停で下車、
佐那河内村役場の方がご親切に天石門別神社と立石神社にお車で連れていってくださいました。
 

天石門別神社(三社皇大神宮、三社様、三所様)

天石門別神社(三社皇大神宮、三社様、三所様)
徳島県名東郡佐那河内村上字牛木屋15番

天手刀雄神 あまのたぢからおのかみ (相殿)
天照皇太神 あまてらすおおみかみ(左側)
豊受皇太神 とようけのおうかみ(右側)
以上三神を祀る。
俗に、三社様、三所様と呼ばれている。「先代旧事本紀」に「天手刀雄神批者座ニ佐那県一也」とあって、東方紀淡海峡を望んで眺望の佳い字府能牛小屋に鎮座せられ、開運武運長久の神様として知られている。
江戸時代の中頃である享保(1716~35)の頃に不思議の霊験があり、藩主蜂須賀探珠院の進行深く、代参を差し遺わし、金幣、幟、灯籠が奉納されている。
戦時中は、祖国の勝利や戦地に出向いている関係者の無事を願い、参列者が列をなした。
佐那河内村のサイトより

手力男にまつわる不思議の霊験

手力男にまつわる「不思議の霊験」・・・なんでしょうか
手力男を祀る神社では
岐阜の各務原市の那加手力雄神社も織田信長が焼き討ちしようとしたところ霧がでてきて、信長公は金縛りにあい落馬し、そのため神領安堵したという信長の花押入り書状が現存しており、
(ちょうど虫干ししている日に那加手力雄神社にお参りして宮司様の許可をいただいて写真を撮らせていただいた)

また川上鹿塩神社 吉野郡吉野町樫尾 「五社さん」でも
山火事があったとき、社殿の周りだけ焼け残ったといいます。
手力男は今だに力の強い神様のようです。
 
以下「記・紀の説話は阿波に実在した」高木隆弘著を参考に(下記)
天石門別神社の拝殿の上方に岩が三つあって、真ん中の岩が後方にあるのは、天の岩戸を開いた手力男を象徴しているという。

これと同じものが、
吉野の岩神神社 吉野郡吉野町矢治 岩穂押開神(石押分いわおしわく命・手力男) 

天香具山の天岩戸神社(天香具山3 天岩戸神社の七本竹とシリウスと昴乙女と)
にもありました。

上は天香具山の天岩戸神社の三岩
 


その上方の鯨の形の岩は横穴古墳の石室の入口だという。
ということは、これは手力男のお墓なのだろうか?
 
『阿波志』には「天岩門別祠、中辺村(佐那河内村の旧名)天嶺にあり鎮守と称す」とあり、天嶺は高天原で、大川原高原が高天原ではないかと著者はいう。
天岩戸別神社には五角形の岩がある。著者は太白星を模したものではないかという。

天岩戸別神社の三つの石と天香具山の天岩戸神社の三つの岩

そして天岩戸別神社の三つの石は
徳島県名西郡神山町鬼籠野字元山の天岩戸立岩神社(あまのいわとたていわじんじゃ)のご神体を元にしたものだと言う。
天岩戸立岩神社

天岩戸立岩神社

天岩戸立岩神社
ご祭神 志那都比古・志那都比売・弥都波女神(水の女神で水銀朱にも関係す)
神奈備さんによると、志那都比古・志那都比売の級津彦は手力男の元の名だそうです。
シナは琉球方言で「太陽の」という意味であり、それからすると「太陽の男」と「太陽の女」であり、     手力男の系図5 太陽の男「級津彦」手力男と羽羽姫こと丹生都姫 参照 、太陽の女は天照大神ということになります。
 
また弥都波女神は後世に弥都波女神とされた手力男の娘の羽羽姫こと丹生都姫であり、二代目天照大神である(手力男の系図5 太陽の男「級津彦」手力男と羽羽姫こと丹生都姫 参照) 豊姫にあたります。
『延喜式』神名帳では土佐国吾川郡に「天石門別安国玉主天神社」の記載があり、天津羽羽神の父の天石門別神を祀る神社とあり、天津羽羽神の父神は手力男のことであり、親子関係もあっています。
なので 天石門戸別神社 のご祭神は天照大神と手力男と娘の豊姫こと豊受大神(?)の三柱にあたるのではないでしょうか?
天石門戸別神社の元宮が天岩戸立岩神社ですので、そうすると天石門戸別神社のご祭神の天照大神と手力男と豊受大神にぴったり当てはまります。
天石門戸別神社 古いお社?

写真では分かりにくいのですが、崖にも二つ石が置いてあって三石と五角形の磐座二つを囲むようにまた五つの石が置いてあるそうです。守りなのか何かわかりません。

五角形の磐座の二つ目

上には奥の院が


これも五角形?

この鯱は屋根に乗ってたものだそうです。銅板に拭き替えたときに下したのだそうです。 
天石門別神社拝殿

社殿側面より

 
吉野の
岩神神社 吉野郡吉野町矢治 岩穂押開神(石押分いわおしわく命・手力男)
は巨大な岩がご神体でした。
四国から紀州に進出した手力男の一族はやはり岩神をご神体として祀っていたようです。
『阿波風土記』によると天から降ってきた山の大きい方が阿波に落ちて来て、天の元山といい、小さいほうが天香具山に降ってきたという。
前回行った天香具山の天岩戸神社のご神体も三つの岩だという。
この後ろにあるらしい 天香具山3 天岩戸神社の七本竹とシリウスと昴乙女と
手力男を象徴するのが真ん中の石が後ろにある三つの石のようです
 

やはり手力男の一族が大和にも進出したということでしょう。そして星に関係しているようなのです。
名西郡神山町鬼籠野字元山の天岩戸立岩神社にもいきたいのですが、村に泊まっても足がないので、バスか徒歩でいくしかなく、果たして行けるのだろうか?それが心配です。国道から6キロはあるそうですので、タクシーを頼むしかないのかもしれません。
せっかく徳島までいくのですから、タクシーですと待っててもらって、その待ち時間もメーターが回って、吉野に行ったときみたいに、三万円越えになってお財布破産という悲劇にはなりたくないので、送ってもらって、二時間したら迎えにきてというふうにお願いしたほうが良さそうです。
快くまた迎えに来てくれるだろうか?・・・結局、村役場の方がご親切に連れていってくださいました・・・ありがとうございます
 

天石門別豊玉姫比売神社の元社は佐那河内村の天石戸別神社

現在は天岩戸別豊玉姫比売神社は廃社になって、かつて徳島藩主が城内で祀っていたそうです。
『大日本地名辞書』に
「延喜式名方郡天岩門別豊玉姫比売神社は今佐那河内村の天岩戸別神社の是なり」
 
『名東郡史』によると佐那河内村高つい(木に通)にある大宮八幡神社の神官、井開兵部氏は
「大人(うし)小屋という処に天石戸別神社がある。そこが天岩戸別豊玉姫比売神社の本宮で、現在は大宮八幡神社の境内社、猿田彦神社に合祀されている」そうです。
 
国学者 佐伯有義は
「式内社、天石門別豊玉姫比売神社は、天石門(あまのいわと)からの出自で、式内社、和多都美豊玉比売社は、海神の娘豊玉比売で、出自は相違しており、別箇に独立した由縁ある神社で、天石門別豊玉姫比売神社は後世藩主が特に崇敬して徳島城内に祀ったものである」
このあたり「記・紀の説話は阿波に実在した」高木隆弘著より
高木隆弘氏は
「日本一社の式内社、天石門別豊玉姫比売神社の本宮が佐那河内村であることがわかると高天原の場所が解明されるため、廃社としたのだろう」と推測している。
四国のブロガーさんの資料によると、手力男の次妃が豊玉姫比売だという資料があり、父は手力男ではないが豊玉姫の連れ子??が倭宿祢となっているそうです。
だとすると、和多都美豊玉比売社の海神の娘豊玉比売は手力男の次妃なので、手力男と一緒に佐那河内村の天岩戸別神社に祀られていたのかもしれません。
ただ出自を表す「天石門別」とついているので、次妃の豊玉姫ではなく、娘の豊玉姫のことなのでしょうか。大宮神社横の猿田彦神社には天石門別豊玉比売社を合祀した石碑ものもありました。

おもわず掃除したくなりました・・・・
 

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