FBでご質問いただいたので、まとめてみました
後漢書東夷伝では高句麗五部を「~奴部」と記し
三国史記高句麗本紀では「~那部」と記す
福岡県に「那の津」「那珂川」などがあるので、
倭奴国は倭那国だったのかもしれないということでした
それで調べてまとめてみました
倭奴国の「奴」は格助詞の使用例
格助詞「奴(ぬ・の)」は(例.イヌマキ(倭奴槇)や倭奴国(いぬ(の)国)など)の
「~の」という意味で使われています
手力男=倭狭府(いさふ)の魂命 の陵墓
それに対して
「那の津」「那珂川」「儺の国の星」「那賀川」は名詞としての使用例
「那の津」「那珂川」「儺の国の星」「那賀川」は名詞としての使用例です
名詞の「な」の時(「那の津」「那珂川」「儺の国の星」「那賀川」など)と格助詞としての「奴」は分けて考えたほうが良い気がします。
<三国史記高句麗本紀の名詞の使用例>
朱那、桓那(名詞)
などがあります。
おっしゃっている「那の津」「那珂川」は名詞として使われてますのでこちらです
これに対して「~の」という格助詞として使われているのは
<三国史記高句麗本紀の格助詞としての「奴・那」の使用例>
脱解本多婆那國所生(多分???)
椽那部(又稱絕奴部)
沸流部(又稱消奴部)
桓那部(又稱順奴部)
貫奴部(又稱灌奴部)
「奴・那」は全て格助詞として使われています
(~のという意味)
なので
格助詞として倭奴国を倭那国と記すものは残って無いけど、
存在したかもしれませんね (残ってたらごめんなさい💦)
・・・なんだか論文ちっくになってきた・・・・

0 comments:
コメントを投稿