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古代史ネットkodaisi.net は橘氏について調べたのがきっかけでした。倭奴(いの)国初代天照大神の天石門別八倉姫や天石門別手力男命と各地の天の岩戸なども調べています。
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

伊勢神宮内宮の西殿には撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と東殿には天手力男命こと向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊が祀られています。
倭国「いのくに」徳島と国栖=胡人の王・向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

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2021年8月10日火曜日

丹生都姫,天津羽羽神 気吹戸主,吉野国栖の祖,天津八重事代主后神,手力男の 子,豊受荒魂?

手力男の子 天津羽羽神(丹生都姫)は吉野国栖の祖 気吹戸主,天津八重事代主后神,豊受荒魂?
天津羽羽神について調べたら長くなったので、こちらにまとめました
羽羽=二羽で、二羽=丹生(には)をあて、羽羽神が丹生都姫(には・二羽)になり、丹生都姫の鉱物神としての性格を取り去って、律令国家の礎の農業の女神として瀬織津姫になったというのがよくわかります。
 
天手力男の系図1 をご覧でない方は、先に手力男についての記事をご覧下さい
天手力男の系図 https://tejikarao.kodaisi.net/ametejikarao-nituite
 

天津羽羽神(丹生都姫)は手力男の子

土左の郡(こほり)。朝倉の郷(さと)あり。郷の中に社あり。神の名(みな)は天津羽々の神なり。天の石帆別(いはほわけ)の神、今の天の石門別(いはとわけ)の神の子なり。
『釈日本紀』所引『土佐国風土記』逸文

 
『延喜式』神名帳では土佐国吾川郡に「天石門別安国玉主天神社」(論社2社)の記載が見え、天津羽羽神の父の天石門別神を祀る神社として朝倉神社との関連が指摘される(Wikipediaより)

 
すなわち、吉野国栖の祖神とは天手力男命の子、天津羽羽命であり波宝神社の祭神ではないかと言えます。
やはり四国から吉野に進出したのでしょう。
 

天津羽羽神は天津八重事代主后神

静岡県掛川市初馬にある阿波波神社、神津島の阿波命神社、静岡県沼津市内浦長浜69 の長浜神社、などがあり、神津島の言い伝えでは、天津羽羽命は三島大神(事代主命)の本后
事代主神、八尋鰐になって三嶋溝樴姫、或いは云わく、玉櫛姫のもとに通い給う。そして姫蹈鞴五十鈴姫命を生み給う。(古事記)
夫の事代主命は大国主の子とされているが、元々は出雲ではなく大和の神とされ、国譲り神話の中で出雲の神とされるようになったとされる。元々は葛城の田の神で、一言主の神格の一部を引き継ぎ、託宣の神の格も持つようになった。このため、葛城王朝において事代主は重要な地位を占めており、現在でも宮中の御巫八神の一つになっている。葛城には、事代主を祀る鴨都波神社(奈良県御所市)があり、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)のような全国の鴨(賀茂・加茂など)と名の付く神社の名前の由来となっている。Wikipediaより
 

天津羽羽命は事代主の后・・・・・
天津羽羽命は吉野郡国栖村にいたようです。
そして吉野から東海の静岡にも進出して行ったようです。
 

天津羽羽神(丹生都姫)は伊吹戸主・気吹雷響雷神

岩穂押開子が祭神である神社に、気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社があります。
『大略注解』によると、気吹雷響雷吉野大国栖御魂神には以下の伝があります。
波多郷稲淵山山上 古老口談云、気吹雷響雷神気吹戸神也、其水吹出神謂之気吹雷神也、其気戸水神謂之鳴水雷神也、或曰、吉野大国栖御魂神者磐穂押別神之子也、元社在吉野郡国栖村、故云吉野大国栖御魂神、奉遷座此所未考其由矣。
気吹雷響雷吉野大国栖御魂神とは気吹戸主であり磐穂押別神之子でもあるようです
https://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/8194328.html より

 
手力男は岩穂押開であり、磐穂押別神ともいったようです。
神話では岩戸を開いたという設定ですので、「いわおしわく」そのままです。
開拓したということでしょうか。
手力男の娘の羽羽神は吉野大国栖御魂神であり、
気吹戸神・
気吹雷響雷神・
水吹出神・
気吹雷神・
気戸水神・
鳴水雷神
 
たくさん名前があります。水・雷・風神でしょうか
気吹」「水吹出」「鳴水」吉野にゴロゴロ水というのがあります。
手力男(岩穂押開・磐穂押別神)の娘、天津羽羽神(丹生都姫,大気都姫)のまたの名に、伊吹戸主・気吹雷響雷神などがありますが、
何故、伊吹戸主というのかよくわかりませんでした。
 
手力男の娘の丹生都姫・羽羽神・大気都姫は吉野大国栖御魂神であり、
吉野国栖の祖とされています。
気吹戸神
気吹雷響雷神
水吹出神
気吹雷神
気戸水神
鳴水雷神
https://tejikarao.kodaisi.net/hahakami 参照
水が勢いよく音を立てて吹き出す様を現したような
 

おほげつ姫のおほげつ・ヒメコソは彗星だった

<ここから追記です>
真鍋大覚著『儺の国の星拾遺』を読むと、

「”おほ”は長大と同時に形だけではなく、人間の呼吸、即ち゛いをき゛と通ずるところから伊吹星(いぶきのほし)とも呼ばれている(中略)
 
゛げつ゛とは孽、即ち゛ひこばえ゛の形を言う。(中略)
 
姫子(きし)とは箕(き)から辰(しん)、即ち黄道から玄天に至るまでの角度で、ときによっては地平線から天頂までの距離と同義に解されていた。彗星は長く大きく発達した限界の形容であった。姫子を倭人は゛ひめこそ゛と訓じた。゛こそ゛とは倭人伝の弓素(こそ)から、古今集の頃まで七百年も生きていた敬称であり、愛し睦むのであれば何でも接尾語として広く活用されていた。(中略)
 
圄も辰も西域の騎手天馬の神話が存在していたことと陰唇を隠す一条の白帯の古語であったことが学者の耳に達しえなかったのである。姫子星(きしのほし)は息吹星という。倭人は略して゛いびのほし゛或いは゛いぼのほし゛といった
真鍋大覚著『儺の国の星拾遺』 P78からP79  姫子星より」

 
オオゲツ姫は彗星という意味で、オオゲツ姫の「げつ」は「ひこばえ」の意味で、なるほど「陰唇を隠す一条の白帯」に見えます。

<追記以上>
 

手力男の子の羽羽神は吉野国栖の祖「吉野国巣之祖」

国栖については

国樔,国巣とも書く。大和国吉野郡,常陸国茨城郡に居住したといわれる住民。 (1) 『古事記』神武天皇の段には,国神イワオシワクノコを「吉野国巣之祖」とする。また『日本書紀』応神天皇 19年の条によれば「その人となり,甚だ淳朴なり,毎 (つね) に山の菓を取りて食う,また蝦蟆 (かえる) を煮て上味とす,名づけて毛瀰 (もみ) という」と伝える。  ブリタニカ百科より

国神イワオシワクが手力男で、その子の羽羽神が「吉野国巣之祖」
その祖神が高御産巣日神(神魂尊)ですので、確かに国の「」と言えます。
蛙は食べたくないけど・・・・
 
吉野国栖の場所は・・・奈良県吉野吉野国栖 だそうです。丹生川上神社中社を下ったところです。

 国栖に大蔵神社があり、
ご祭神は
鹿葦津比売命(コノハナサクヤ姫・天香語山命(阿多小橋)の妹神阿多津姫)
大倉姫命
石穗押別命(手力男)    だそうです。
手力男とその一族は阿多隼人で、羽羽神の代くらいで四国から吉野に進出し、吉野国栖の祖となったようです。
 もとのご祭神は石穗押別命(手力男)だそうです。
口碑ニ此神ハ元五社峠ニ祀リシ川上鹿塩神社五堂ノ中其ノ二座ヲ分テ移シタルモノト、年代ハ考フベカラズ(中略)神名帳ヲ按スルニ國栖荘七ケ村ノ氏神トアレバ或ハ其祖石穂押別神ヲ祭リシモノカ今モ尚ホ東川國栖ノ二村ヨリ奉供ノ餅撒ヲナシ祭礼ヲ行フ   『吉野郡史料』川上村史
神域の下方西南寄り約百数十メートルの傾斜地に高さ約10m、幅約20mにも及ぶ巨岩があり、土地では俗に「カニイワ」(神石)と称して崇敬している。古代の巨石信仰を伝える遣跡「磐座」とも思えるが、国栖部の祖神の穴居遣跡と伝えている。  https://www.geocities.jp/engisiki/yamato/html/030907-02.html より
 ちょうどお祭りの日に行ってきました。
まさに「餅撒ヲナシ祭礼ヲ行」おうとしてて、お誘いいただいたのですが
バスの時間の関係でお餠まきには参加しなかったです。

豊受荒魂は天津羽羽神?

神宮の『倭姫命世記』には、「多賀宮一座、豊受荒魂なり、伊弉那伎神の所生神、
名は気吹戸主、またの名は神直毘大直毘神といふ」
とあります。つまり磐穂押別神之子は、神直毘大直毘神または豊受大神荒魂でもあるということです。https://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/8194328.html より

気吹戸主は羽羽神のことです。
「はは、あれははき、アラハバキ」、「御あれませ、ははき神」ということからいっても、豊受荒魂が羽羽神というのは妥当だと思います。

多賀宮一座〔豊受荒魂也、伊弉那伎神所生神、名伊吹戸主
亦名日神直日大直毘神是也、霊形鏡座〕【別宮・多賀宮】  『倭姫命世記』より

 
「伊弉那伎神所生神」 んんん????ということは、伊弉那伎神が手力男????
『倭姫命世記』によると、手力男は伊弉那伎神になつてしまいますが・・・
 
瀬織津姫フリークが「『倭姫命世記』に書いているから瀬織津姫は天照大神だ」そうですが、鵜呑みにするのは、いかがなものかと
伊弉那伎神が手力男・・・案外、真実かっっ・・????
『倭姫命世記』に書いているからと正しいという人、本当に人間が何十万年も生きていたと信じるのですか?
 

手力男関係では

手力男の名に、天の石帆別(いはほわけ)の神・石穂押別 もある
その他の名前は 天手力男の系図 https://tejikarao.kodaisi.net/ametejikarao-nituiteをご覧下さい。
・吉野国栖の祖神とは天手力男命の子、天津羽羽命
・天手力男命の子の天津羽羽命は波宝神社のご祭神
・神武天皇の后の姫蹈鞴五十鈴姫命の母?
豊受大神荒魂というのは、羽羽神ですので、そうかもしれないなと思いますが・・・
 
 

手力男も吉野国栖の祖

手力男も吉野国栖の祖だった・・・・そして、神社の分布を見ると四国から吉野に移動してきたようです。
手力男が吉野国栖の祖の天津羽羽命の父であり、古い太陽神であったから、鬼(隠)神として隠されてしまったようです
 
後から紀州に入ってきた人達が手力男を隠したい理由がこのありにあるようです。
そして手力男は神武天皇の后の姫蹈鞴五十鈴姫命の祖父にあたる??
 

羽羽神が丹生都姫になり、瀬織津姫になった

豊受大神荒魂というのは、羽羽神ですので、そうかもしれないなと思いますが・・・
 
羽羽に丹生(には)をあて、羽羽神が丹生都姫(には・二羽)になり、丹生都姫の鉱物神としての性格を取り去って、律令国家の礎の農業の女神として瀬織津姫になったというのがよくわかります。
やはり瀬織津姫という名称は藤原氏の律令国家とともに浮上した神名のようです。
あるいは、律令国家の体制に協力するという意味で水の女神としての名を重視した瀬織津姫やおかみ信仰に変えていったのかもしれません。
 

手力男の子丹生都姫の子(子孫)が高野明神こと犬飼明神

丹生都姫の子(子孫)が高野明神こと犬飼明神です。下記の
波宝神社 祭神丹生都姫(波比伎神)のご祭神を見ていただくとわかりますが、
【第一殿】丹生都比売大神
【第二殿】高野御子大神(犬飼明神・大名草彦・狩場明神)
手力男を祖とする縣犬飼氏や犬飼氏、そして瀬織津姫となった羽羽神・丹生都姫、これで証明ができました。
諏訪の小野神社の御鉾さまとも結びついてきました。
 
橘氏の楠木正成が天御中主や瀬織津姫(元は羽羽神・丹生都姫)を祀る建水分神社を建立したのは、橘氏の先祖を祀ったからです。
楠木正成は縣犬飼氏の血を引いています。楠木正成の母も橘氏です
勅許によって瀬織津姫を祀る神社は建立されております。
瀬織津姫が封印されていたという人もいますが、それは間違いです。
封印されていたら、天皇家による「勅許」で瀬織津姫をご祭神とする神社が建立されるわけがないです。
瀬織津姫を封印されていたといってスピ商売に使いたい瀬織津姫フリークスの嘘です。
 
天津羽羽命は波宝神社のご祭神だそうです
丹生都姫 波宝神社の過去記事より


国見する朱の女神 丹生都姫 天津甕姫 波比伎神
https://tejikarao.kodaisi.net/niutuhime-kunimi

より抜粋転載

波宝神社 祭神丹生都姫(波比伎神)
丹生都比売大神を祀る波宝(ハハウ)神社は 鰹木二本 鰹木二本 春日造四連棟
神 紋:左三ツ巴 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
祭 神:
【第一殿】丹生都比売大神
【第二殿】高野御子大神
【弟三殿】大食都比売大神
【第四殿】市杵島比売大神
三代実録によると貞観八年(866)11月四日乙巳波宝波比売併授従三位とあり。金峯山(黄金岳)の波比売神社と古来より密接な関係にある。
この波宝神社は古代は小竹宮(シヌノミヤ)、若桜宮といわれその後、神蔵大明神、古田大明神ともいわれたという。明治初年まであった神宮寺には神功皇年まであった神宮寺には神功皇后の念持仏と云われる新羅産の黄金仏があった。 「フルタ」には精錬の村という意味があったという。
大和国吉野郡式内で銀峯山鎮座の波宝(ハハウ)神社の祭神も丹生都姫(波比伎神)で、黄金岳鎮座の波比売神社も丹生都姫を祀る」
・大和国吉野郡式内で銀峯山鎮座の波宝(ハハウ)神社の祭神は丹生都比売大神
・黄金岳鎮座の式内波比売神社も祭神は昔は丹生都比売大神であったが、現在は、応神天皇とミズハノメに入れ替わったという (このあたり参考資料「天河への招待」大山源吾著)
 
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ということは、

丹生都比売大神(波比伎神・波姫・ハハウ神)は

・国かかし

・国見をする支配者であり、太陽神であり

・国土・鉱物・鉱業・水の女神 でもあるのです。

丹生都比売大神は天香具山や豊雲野大神と国常立命と同じであったのです

だからこそ丹生都比売大神も時代が降ると隠され、名前も瀬織津姫に変えられたり、弁財天として信仰されるようになったのでしょう。

 

「ははき」についてはこちらをご覧ください。

波比祇神(丹生都姫・アラハバキ)と阿須波神 小野神社の御鉾様と鹿島の武甕槌 参照

天香久山(天香語山)の「ははか」と波比伎

朱桜を「にはざくら」と読むのは「朱の大神」丹生都姫の「丹生(古語では「には」と読む)」でしょうか。(よく考えると、「には」は「二羽・はは・羽羽」ですね)

金剛山は丹生都姫の領地です。丹生都姫は金剛山を空海に貸しました。「ははか」が硬いから金剛かもしれません

瀬織津姫を「勅命」により祀る建水分神社は「金剛山鎮守」

天香久山の「櫛真智命」・・・武蔵一宮の小野神社の小野神社の祭神は丹生都姫アラハバキと櫛真智命から瀬織津姫と天下春命に変えられました。武蔵小野神社の祭神は瀬織津姫と天下春命に変えられた アラハバキ丹生都姫と櫛眞智命だった 御嶽神社

 

「ははか」は本当はこんなんらしいですが

 

藤原氏が天児屋根命を祖神としたから、武蔵一宮の小野神社は祭神を櫛真智命にできなかったのではないですか?

アラハバキや丹生都姫の水神の部分である瀬織津姫と天児屋根の子の天下春命にしたのではないですか?

瀬織津姫と天下春命ならお構いなし、ということではないですか?

天香久山の頂上の「国常立」の隣の「おかみ」神も豊雲野さんであり、おかみ神に変えられた羽羽神・丹生都姫です。

これが意味するのは何でしょうか?

弁財天・丹生都比売大神(波比伎神・波姫・ハハウ神)

丹生都姫、弁財天、朱の大神、真朱(まほそ)の姫 金精明神、フルタ大明神、弁財天 「朝日なす輝く宮、夕日なす光る宮」のワカヒルメ

朝日さす朱桜の姫は丹生都姫(にはさくらは本当は地味です)

 

また田殿丹生神社のブログによると 丹生都姫は大名草彦命(高野大明神・犬飼明神・狩場明神)の母(または祖)でもあります

名草戸部も丹生都比売大神の子孫のようです

持統天皇と不比等に隠されたのは瀬織津姫ではなく羽羽神・丹生都姫

吉野に逃れた大海人皇子を匿ったのは、弁財天(丹生都姫・アラハバキ)を祀る吉野の水銀を採掘していた豪族たちです。

天武天皇を助けたことで強大になった吉野の丹生氏や井氏(役小角の弟子)の勢いをそぐために

政治絡みで天武朝に丹生氏の祖・水と丹の丹生都姫が隠されて、吉野の鉱物資源もつきてきたため、水の女神になってしまったので瀬織津姫ともいえるのですが

天河弁財天と大海人皇子と役小角★『新撰姓氏録』で気付いたこと2  

三日比売は丹生都姫  豊雲野大神は・・丹生川上神社は大和にあった

丹生都姫 忌杖刺し給ふ国見の出発の地 櫛眞智命神は天香語山の神 でちらっと触れました

天の御影=天の香語山の日陰葛=蘿で、丹生都比賣は太陽神でもあったのです

丹生の地は鉄産地をも意味したそうです

鉱物の神は丹生都姫、朱の大神、真朱(まほそ)の姫、金精明神、フルタ大明神、弁財天などと呼ばれていた。
吉野では時代が降るにつれ、鉱物資源も輸入され、水銀採取も廃れていき、代わりに穀物生産のための、おかみや水分信仰が盛んになる。そのため、祭神が丹生都比売大神であったのが、ミズハノメのような水神信仰になっていきます。

それ以前は丹生都比売大神が信仰されていました。

アラハバキのアラも鉱物と言われています。

 神武天皇によって殺された紀伊のニシキ戸邊も丹敷戸邊と書かれたり、丹生都比賣は丹敷戸邊のことだという説もあります。丹生都姫 忌杖刺し給ふ国見の出発の地 櫛眞智命神は天香語山の神より

 

春日大社の姫神は瀬織津姫ではなく丹生都姫 鹿島・春日・志賀明神は安曇磯良

鹿島神宮の鹿島明神は安曇磯良・あとへのいそらだと謡曲「香椎」で言われています。

橘氏が鹿島神宮から連れてきたのはあとへのいそら(あんとんいそら)と川上の明神(丹生都姫)だというのです。

安曇磯良丹生川上神社の川上明神、つまりは丹生都姫です。

春日大明神の 「比売」は丹生都姫

思わずのけぞる方が多いのではないでしょうか?

 

謡曲「香椎」の中で、川上明神豊姫と阿曇磯良は言います。

川上明神豊姫 「我はこれ。神功皇后の妹。川上の明神豊姫」

阿曇磯良「我はまた。滄海の使。磯の童とも云はれし海神なり。唯今現れよる波の。たつの都より来りたり。」

https://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/utahi/text/yob07.txt

 

https://www2.ocn.ne.jp/~jamesmac/body443.html

茨城県の鹿島神宮に伝わる「八幡宮御縁起」には以下のような文章があります。 「磯良と申すは「筑前国鹿の島の明神」の御事也常陸国にては鹿嶋大明神、大和国にては春日大明神、是みな一躰分身、同躰異名にてます」 同様の記述は「謡曲」にもあり、「香椎」の中では以下のように描写されています。 「(前略)干珠といふは白き玉。満珠といふは青き玉。豊姫と右大臣に持たせ参らせて。三日と申すに龍宮を出で。皇后に参らせさせ給ひけり。かの豊姫と申すは。川上の明神の御事あとへのいそらと申すは。筑前の国にては。志賀の島の明神常陸の国にては鹿島の大明神。大和の国にては春日の大明神。一体分身同体異名現れて。御代を守り給へり。その後皇后は。仲哀天皇の御笏を。忝くも取出し。かす井の浜にある。椎の木の三枝に。置き奉り給ひしに。シテ「この香椎の香ばしき事。諸方に充ち/\て。ぎやくふうにも薫ずなる。ゑんしやう樹にも異らず。偖こそこの浦もとはかす井と言ひけるを。香ばしき椎の字に。書き改めて今までも。香椎の浦風の治まる御代となるとかや。(後略)」

 

もちろん全てがそうではないですが、本当のことを書けない、伝えられないときに、謡曲の中に伝えたいことを散りばめることは良く行われています。

研究者で、謡曲を異本も含めて、丹念に調べ上げ、隠された史実をあぶりだすという研究をなさっている方もいらっしゃいます。

直接にしろ間接的な比喩のような表現にしろ、川上明神の丹生都姫と安曇磯良(住吉明神)の事を後世に伝えたかったのではないでしょうか?