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古代史ネットkodaisi.net は橘氏について調べたのがきっかけでした。倭奴(いの)国初代天照大神の天石門別八倉姫や天石門別手力男命と各地の天の岩戸なども調べています。
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

伊勢神宮内宮の西殿には撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と東殿には天手力男命こと向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊が祀られています。
倭国「いのくに」徳島と国栖=胡人の王・向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

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2021年8月10日火曜日

井光神社 井光の里

井光姫と手力男の一族は密接な関係があるため、こちらに移動しました。井光の里と井光神社の記事は、こちらに移しました
 

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丹生川上の井光の里にいくのにこんな橋を渡っていきます
 
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井光川に添ってずんずん車でいきますと、釣り堀というか、キャンプ場のような「井氷鹿の里」が右手にあって、そこを左折して、井光の里に行きます。
井光・井氷鹿は「いひか」と読んだり「いかり」と読んだりします。
 

井光姫のおとさん大戸さん

今まで、「天津神」というと天孫族と同じと思っていました。
(水の系譜狗の系譜で)向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊を調べていて、縄文以前は温暖だったために、縄文人たちは涼しい高山に住んでいたらしいことがわかってきました。
四国などに高地の居住跡が残っています。
 
弥生時代以降、日本が寒冷化したたために高い山(高天原)から降りてきた人達を「天津神」といったのではないかと
縄文人は手足が長い人だったため、手長・足長とか、蜘蛛などと呼ばれたようです。
侏儒と中国の史書に書かれているから、やはり小柄なのでしょうか?
コロボックルのような人達だったのでしょうか。
アイヌの人達も手足が長くて「蜘蛛」という表現に当てはまりますが
 

高い山・高天原から降りてきた縄文人も天津神?

今も四国の高い山には石垣などが残っています。これも過ごしやすい高山で暮らしていた住居跡でしょう。
先日尋ねた井光姫の里(井氷鹿の里)は700年くらい前に下のほうに降りてきたそうです。
 
井光姫たちが信仰していたおとさん(大戸さん)に行く途中に昔の井光姫の里の石垣がありました
井光姫の里には泊まった民宿の方が車で連れていってくださいました。
お話を聞かせてくださる方に連絡もしていただいて、ありがとうございました。
 

井光神社

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井光姫の里の説明してくださった方と後南朝ご末裔が語り合う姿
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民宿の方は後南朝ご末裔で、南朝家臣末裔(楠木正成子孫)と井光姫の里の人と後南朝ご末裔が三人で語り合っていたのは、今考えると、なにやら不思議です。
お話聞かせて下さった方もありがとうございました。
 
説明してくださった方はとても若く見え、気功をなさっているそうです。
パワースポットというかその方の手書きの瞑想スポット地図をいただきました。
このあたりも中央構造線上にあるので、気功をしたらさぞかし効果がある、というか、本当に若く見えたので、やはりパワースポットに住んで、気功するとアンチエイジングには効果大なのだと思いました。
 
ご末裔がしきりに「あの人若く見える、若く見える、私と同じくらいなのに、息子と同じくらいに見える」と感心しておられました。
 

井光神社のご神木

井光神社のご神木の樹齢は700年くらいだそうです。
井光の里人達が下に降りてきたときに、植えたそうです。やはり南北朝くらいでしょうか160624_181349
井光神社のご神木
 
ご末裔曰く、井光の里は昔からのやり方でご神事も行っておられるとのこと。
井光神社のご神体のおとさんに矢を納めるのも、昔からのご神事を行っておられるとのこと。
 
ご神木は下に移住したときに、植えたそうです。
戸隠神社の三本杉も樹齢700年くらいだそうです。1300年ごろに何かあったのでしょうか?
 
次の日におとさんのところにお参りしたのですが、おとさんのところに行く道すがら古い石垣あり、ここがもとの井光姫の里だったんだと思いました。
 
井光神社の拝殿の中側
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井光神社の拝殿の中側にはおとさんのところから持ってきた上が尖った三角っぽい石がありました。
おとさんがご神体のようです。遥拝所というか拝殿というか
許可を得て撮影させていただきました。
 

天岩戸のモデル井光神社のおとさん

おとさんも三角っぽい岩でした。
おとさんは、お戸さんで、やっぱり天岩戸の御戸さんなんだろうなと思いました。
おとさんアップ
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井光姫が神武天皇のために、お戸さんに矢を捧げて祈った、天岩戸神話の天岩戸のモデルだそうです。
 
戸隠も岩戸で手力男つながりで、700年前くらいに何かあって、戸隠に移動した集団がいたのでしょうか???
やはり戸隠神社の三本杉も手力男の一族が南北朝がらみで戸隠神社に移住したからでしょうか?
 
手力男を祖とする犬飼さんたちのようですので、そのときに手力男神話も移動して、九頭竜さんと習合したのかもしれません
井光神社 ご祭神はおとさんのようです。
 
こちらは拝殿に向かって左にあたります。
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写真はないですけど、何故か日露戦争時の砲弾が置かれていて????
 
西側なのに、何故かこちら側に伊勢遥拝の石碑が置かれている。(伊勢神宮はここからは東方向)
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説明してくださった井光の里の方が
「これ向いの石碑と逆なんじゃないか? 今度何かあったら位置交換するか!?」
とかなんとかおっしゃってて、一体なにを拝みたかったのか???
 

西の古語、以西(いせい)→伊勢で、伊勢はカモフラージュで、もしかしたら、西に拝みたいものでもあったのかしらん?
西に高天原があった・・・????神武天皇の畝傍御陵?先帝御陵を拝みたかったのだろうか??
後南朝の自天皇の首を取り返した場所もありますので、もしかしたら、後南朝関係の場所を拝みたかったかもしれません。
 
地図で、井光神社から真西のライン上に、淡路島とちょっと離れて対馬があるのですけど、淡路島や対馬に何かあるのかまだ調べてません。
 
尾張弁も南を「いなみ」といいます。これと同じで、古語が残っているのでしょう。
(今は老人も知らないかも。祖父母が古い尾張弁使っていたので)
西の何を拝みたかったのか・・・・
続きます