大蔵神社 吉野郡吉野町大字南国栖小字深山 社殿彩色が優美
吉野郡吉野町大字南国栖小字深山
お祭りは11月23日です。
神職が一人しかいらっしゃらなくて掛け持ちなので、下の浄見原神社でお祀りした後に、みんなで大蔵神社に登ってお祀りし、お餅投げなどするそうです。


上は大蔵神社がある衣笠山(ちがってたらごめんなさい) 綺麗な三角っぽい山でした
下が川上鹿塩神社のある山です。
こっちが川上鹿塩神社のある山 川挟んだお向いです。
この山の裏側の頂上近くに川上鹿塩神社はあります。

大蔵神社入口 ここから登っていきます
<手力男と大蔵神社>
石押分之子は 吉野國巢之祖
大蔵神社は
正殿 鹿葦津比売命(木花咲耶姫のまたの名)
左殿 大倉姫命(またの名を下照比売命(シモテルヒメノミコト))
右殿 石穂押分命(いわほおしわくのみこと・岩押分命・イワオシワク命=手力男)
がご祭神です。
大倉姫こと下照姫と手力男(石押分命)は夫婦
大倉姫命(下照姫命) == 石穂押分命(石押分命=手力男命) か?
*************************|
石押分之子(吉野國巢之祖 大蔵神社の氏子さんにいただいた資料では「進雄命(ススメオの命)」)
そしてこの石押分命の名を持つのが手力男命です。
ですので、大蔵姫と石押分命こと手力男は夫婦であったかもしれないと考えています。
これについてはまた後述します。
<追記>
四国では初代天照大神の夫神は手力男となっています。下記参照
手力男と天照大神の子供の代に四国から吉野へと進出したようです。
吉野の大蔵神社の氏子さんからいただいた資料には
「大倉比売命(おおくらひめのみこと)またの名を下照比売命(シモテルヒメノミコト)」とあり、やはりそうなのかもしれないと思いました。大倉≒八倉(たくさんの倉)ですので、八倉姫≒大倉姫ではないかと推測しています。
四国の伝承ではこういう系図になります。
初代天照大神の八倉姫(吉野では大倉姫またの名を下照姫命)
****┣┳丹生都姫命(二代目天照大神・阿波大神)
****┃┗石穂押分命の子(吉野國巢之祖 大蔵神社の氏子さんにいただいた資料では「進雄命(ススメオの命)」)
手力男(またの名を石穂押分命など)
****┃
豊玉姫━椎根津彦(倭宿祢)豊玉姫の連れ子
***********┃
*********井光姫
手力男(またの名を石穂押分命など)かその息子・娘の代頃に四国から吉野へと進出したようです。
https://tejikarao.kodaisi.net/ametejikarao-nituite
https://tejikarao.kodaisi.net/ameiwatowakejinja
https://tejikarao.kodaisi.net/yakurahimejinja
天石門別八倉比売神社参拝 徳島県徳島市国府町矢野
https://tejikarao.kodaisi.net/ameiwatotateiwajyinja
大蔵神社近くの大岩は石押分命が住んでいたそうです。
登る道の途中に大きな磐や石垣などもあり、国栖の人達は昔は大蔵神社のあるあたりに住んでいたそうです。
時代が下って下に降りてきたそうです。
井光姫の井光の人達も同じことをおっしゃってました。
これは社殿裏側から

下が多分、進雄命(ススメオノ命)の社殿でしょう。この人が記紀の岩押分命の子でしょうか?







地元の方が落ち葉を掃除されて、燃やしてる煙です。
<大蔵神社庭園>
有名な庭園跡もありました。 お掃除なさってます。
お祭りの日に扉は開かれます。
許可をいただいてお写真をとらせていただきました。
彩色が新しければ、どれほど華やかで美しい神社でしょうか。

美しい彩色が残っています。
国栖の方がおっしゃるには水分神社は彩色が日本で一番古いとされているけど、ここの方が彩色が古いのではないかと
彩色が古びていましたが残っていました。
どなたか調査されるかたはいらっしゃいませんか?
今日はお祭りなので扉が開いたそうです。それで許可頂いてお写真とらせていただきました。
(研究者のかたでご入用のかたはコメントしてください)
下は一之宮貫前神社(Wikipediaより)参考のために
丹生都姫(稚日女尊)を祀った 一之宮貫前神社と似ています。やはり丹を採取する人達だったからでしょうか?
三峰神社より繊細で美しく女性的です。
<大蔵神社ご祭神>
鹿葦津比賣命(かしつひめのみこと 木花咲耶姫のまたの名))
大倉姫命
石穂押分命(手力男)
<大蔵神社アクセス>
吉野郡吉野町大字南国栖小字深山
ほとんどコミュニティバスしかありません。
近鉄「上市」駅前よりコミュニティバスで「南国栖」下車
もしくは「深山」下車
「南国栖」下車の場合は、バス進行方向に少し行くと左手にあるお寺の脇の道(道からお寺に向かって右側の道)をひたすら40分から一時間くらい登る
入口付近には看板があります 「名勝 大蔵神社庭園」
こんな看板もあります。
(山本山の石の杭のあるお墓の道ではなく、お寺の川上村方面の側・道から向かって右側の脇道です)
一本道ですが、お寺か近くの家の方に確認されてから行かれたほうがいいです。
コミュニティバスの方がご親切に聞いてくださいました。
お祭りの11月23日以外は誰にも会わないと思うので、鹿・猪・サルなど出ますので、熊鈴など持っていったほうがいいです。単調な林道をひたすら登ります。
今回はお祭りの日でしたので、ご親切に国栖の人が途中でお車で拾ってくださいました。その方は国栖奏の舞手だそうです。
登り口ちかくの常夜燈
ここにいわほおしわく命たちが住んでいたのだろうか?
頂上近くの岩
昔の集落の跡地
井光姫の井光の集落と同じく、山の上の方に住んでいたそうです。
昔は国栖の方は山の上の方に住んでおられました。その跡地だそうです。
石垣が残っています。井光の里の方もそうですが、やはり昔は山の上に住んでみえたのだなあと。
宿泊は吉野の宮滝の宮滝温泉に泊まりました。宮滝温泉は源泉で、炭酸泉が素晴らしかったです
こちらの炭酸泉は超お勧めです💛ぬるめですがいつまでもホカホカと身体が暖かいです。お魚料理も絶品です。お庭のお不動さまも霊験あらたかでお坊さんのお泊まりも多いそうです。
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