スピカとはラテン語で「小麦の穂」の意で、女神の持っている麦の穂のことだそうです。
手力男の元の名 志那都比古(シナツ彦)と中時星(しなつ星)と志那都星(しなとのほし) の続きです
スピカはしゅんぴ・春日
倭人は春の彼岸の中日を「しゅんぴ」といった。Spicaの和訳にまことによく対応する。
Spicaは普門(陰・ほと)と同じ形の穀物なる麦の穂を左右の手に握って立つ。
『儺の国の星拾遺』より
スピカは大地母神デメテルの娘のペルセポネとも言われてます。
日本では、「麦」は大宜都比売、大気都比売神の陰部に生えた穀物です。
西域では春撒きと秋撒きの麦があり、日本は麦は裏作で、冬撒きで、夏撒きの代わりに稲を植える。
なのでSpicaは麦秋の取入れの女神となり、春日大明神の面影だけが天平の胡語として残っているそうです。
「大月氏の胡語で vogah(ボガ)は萊麦(らいむぎ)でありました。漢語の麦も芒(ぼう)も語源は同じであります。気(け)とは芒のある穀粒と襞のある果実の類の総称であります。ここに出る女神の名は大宜都比賣であり、“おほ”とは陰唇であり、”きつ”は星辰でありました。彼岸は左右に天の玉門が開き、夏がみえ冬をのぞむ日でありました。」『儺の国の星』p39,40より
Spicaと大宜都比売・丹生都姫
謡曲「香椎」では春日明神は安曇イソラとなっていて、
イソラとともに出てくるのが豊姫こと丹生都姫です。謡曲中では、川上明神となっています。
丹生都姫と大宜都比売、大気都比売神は同一人物で、手力男の娘となっています。
天津羽羽神(丹生都姫,大気都姫)のまたの名に、伊吹戸主・気吹雷響雷神など
手力男の娘の丹生都姫・羽羽神・大気都姫は吉野大国栖御魂神であり、吉野国栖の祖とされています。
土左の郡(こほり)。朝倉の郷(さと)あり。郷の中に社あり。神の名(みな)は天津羽々の神なり。天の石帆別(いはほわけ)の神、今の天の石門別(いはとわけ)の神の子なり。
— 『釈日本紀』所引『土佐国風土記』逸文
手力男は岩穂押開であり、磐穂押別神ともいったようです。
謡曲「香椎(かしひ)」にも丹生都姫命こと川上明神が出てきます。
その後皇后は。仲哀天皇の御笏を。忝くも取出し。かす井の浜にある。椎の木の三枝に。置き奉り給ひしに。
「この香椎の香ばしき事。諸方に充ち/\て。ぎやくふうにも薫ずな
る。ゑんしやう樹にも異らず。偖こそこの浦もとはかす井と言ひけるを。香ばしき椎の字に。書き改めて今までも・・」
かの豊姫と申すは。川上の明神の御事。
あとへのいそらと申すは。筑前の国にては。志賀の島の明神。常陸の国にては鹿島の大明神。大和の国にては春日の大明神。一体分身同体異名現れて。https://hangyo.sakura.ne.jp/utahi/text/yob07.txt より
謡曲「香椎」の中で、川上明神豊姫と阿曇磯良は言います。
「川上明神豊姫 「我はこれ。神功皇后の妹。川上の明神豊姫」
阿曇磯良「我はまた。滄海の使。磯の童とも云はれし海神なり。唯今現れよる波の。たつの都より来りたり。」」
川上明神豊姫とは丹生川上神社の「川上明神」である丹生都姫こと大宜都比賣のことです。
春日明神とは安曇磯良のことです。
でも、[儺の国の星]によると、春日明神とはSpicaである大宜都比賣のことのようです。
それについては、また後で
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