四国にいた神魂命の子孫のことを書いてないかと
を読んだのですが、書いてある内容はやはり出雲王家中心で
内容がこんな感じ↓です
徐福=火明命の出雲王殺害事件『出雲王国とヤマト政権 伝承の日本史』より
徐福(饒速日命として)吉野ケ里に二度目の来日『出雲王国とヤマト政権 伝承の日本史』より
阿波と出雲の関係
四国の神魂命の子孫で、出雲王家の系図に出てくるのは
日本神話で天津甕星を倒したとされる建葉槌命のみでした
『出雲と大和のあけぼの』斎木雲州著 では
「下照姫の夫になった天稚彦の素性はよく分からない。しかし別名が建葉槌命で、神話の内容からすると、徐福の子孫である可能性が大きいと思う」
とあって
日本神話の天稚彦の以上の話は載ってませんでした
出雲王家の系図では、建葉槌命は下照姫と結婚したようです
出雲を開拓したしたのは倭佐布国・いさふの国=佐那河内村周辺地域の阿波に居た人達
というのは、
出雲を開拓したしたのは阿波に居た人達で
出雲は阿波(倭佐布国・いさふの国=佐那河内村周辺地域)忌部が開拓したらしい
ので、出雲にいる出雲族の人は、阿波から移住して開拓したようです
なので、阿波の人が出雲を開拓し、出雲王家の拠点が出雲に置かれる前に、四国に神魂命の子孫(出雲族?)がいたのではないかと考えられます
地元の伝承では、吉野川をインドの大型船が遡ってきていたといいます。
出雲族はアーリア人の侵入で、インドからクナト王に率いられてきたドラヴィダ人だそうで、日本に来てからもインドと船で行き来していたそうです。

「出雲(島根県浜田市)の大祭天石門彦神社(おおまつりあめのいわとひこじんじゃ)」の社伝には、「古代、阿波忌部の一族がこの地を開拓して祭ったと書かれています」
社伝によると、阿波忌部氏の一族が当地に祀った神社。
一説に、浜田市の西にある大麻山神社と同時期に祀られたとある。祭神は、天石門別命(手力男命)。
配祀の建御名方命は、承和二年(835)十二月二十五日に信濃から勧請された神。社殿の後方に巨石があり、他に烏帽子岩があって、
石信仰が本来の姿だろう。https://genbu.net/data/iwami/oomaturi_title.htm
より
出雲を開拓した伊奴姫(天甕津姫)の伊奴神社
出雲を開拓した伊奴姫の伊奴神社は平安時代には12社あったそうです
出雲王家の系図
こちらが

こちらが『出雲と大和のあけぼの』斎木雲州著 のもの


佐和気と天甕津日女は出雲を開拓
佐和気と天甕津日女の夫婦二人は、出雲を開拓した神とされています
出雲を国引きした臣津野(八束水臣津野命)
出雲王家の系図に出てくる臣津野(八束水臣津野命)の『出雲風土記』の詔に
八束水臣津野命詔、
「八雲 立 出雲國 者、狭布之 推國 在哉。初國 小所作。故、將作縫」出雲『出雲風土記』より
出雲は「狭布」の人が開拓した国である(あるいは国に在る)、と言ってます。
万葉仮名で伊農=伊奴=倭奴「いぬ」倭奴国=伊奴国(いぬ国)
調べた限りのこの部分の解釈は、万葉仮名の「狭布」と読んでる人は無いです
国語学を専攻している一部の人にしか万葉仮名は知られてないので、
解釈者はイサフの国、倭狭布国・伊狭布国と万葉仮名よみが出来てないために、
八束水臣津野命の狭布之推國の「狭布(さふ)」は徳島県佐那河内村周辺のことだとは全く知られてません。
八束水臣津野命の息子が佐和気(赤衾伊農意保須美比古佐和気能命)で、
斎木雲州氏の本には妻の天甕津日女(伊奴姫)は出てきませんでした
二人の名前の「伊農・伊奴」は「イヌ」と読みます
これは万葉仮名よみで、今まで調べた限りでは万葉仮名よみをしてないために
伊農・伊奴・イヌ=倭奴国(いぬ・いの国)と分からないため、
伊佐布国=倭佐布国(徳島県佐那河内村周辺)と結びついてませんでした
そして『出雲と大和のあけぼの』では「佐和気」とありますが
同時代にかなり倭を和と記した例があることから(斎木氏も「さいき・さえき」ですね)
「佐倭気」(さいき・さゐき)=「佐伯」で空海も四国の佐伯氏です
九州の隼人の血が入っているのでしょうか?
佐和気(赤衾伊農意保須美比古佐和気能命)
佐和気(赤衾伊農意保須美比古佐和気能命)を祀る
比古佐和気神社(もと楯縫郡西林木村字朝村山918番地に鎮座、伊努神社に合祀)が出雲にあります
名を比古(彦)佐倭気と記すことから、
彦が先になるのは彦饒速日と同じで大陸から来た人のようです
(佐伯氏は豊後の大族大神氏の一族で、豊後大神氏は、宇佐八幡宮の大宮司であった大神氏の一族)
赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(神門臣家)の息子が八千矛(ヤチホコ・大国主)で
神門臣家出身の大名持(出雲王のこと)・八千矛(ヤチホコ)に
神門臣家分家の北九州の宗像家から次女多岐津姫(タギツ姫)が輿入れ
大名持八千矛王と多岐津姫の娘が長女の高照姫で
八千矛王と曳田八上姫(因幡の白兎の話)の娘が次女の下照姫で、
(曳田八上姫と八千矛王の恋物語が因幡の白兎)
出雲族の伝承本には下照姫が建葉槌命(海稚彦・天稚彦・天若日子)と結婚したことしか書いてありません
日本神話では、
「天之菩卑能命(アメノホヒ・出雲大社千家の先祖)が3年たっても戻って来ないので、次に天若日子が遣わされた。」
ホヒというのは徐福が出雲にスパイとして派遣し、出雲王家に仕えていました。
「天若日子は大国主神の娘下照比売(シタテルヒメ)と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった」
となってますが、出雲王家の伝承では、
高照姫と結婚して、出雲王国を乗っ取ろうとしたのは天若彦ではなく徐福こと火明命(饒速日命)
です
建葉槌命は出雲王家の下照姫と結婚
出雲王家の系図によると
神門臣家出身の大名持(出雲王のこと)・八千矛(ヤチホコ)に神門臣家分家の北九州の宗像家から次女多岐津姫(タギツ姫)が輿入れ
八千矛王と多岐津姫の娘が長女の高照姫で
八千矛王と曳田八上姫(因幡の白兎の話)の娘が次女の下照姫で、
(曳田八上姫と八千矛王の恋物語が因幡の白兎)
下照姫が建葉槌命(海稚彦)と結婚して、その子孫が倭文氏や縣犬飼氏で、
織物の女神とされているのは、男神の建葉槌命ではなく下照姫のようです
日本神話では建葉槌命は天若彦になっている
・・・海稚彦って、海=天(あめ)だから、天若彦のこと!??
神話では下照姫とねんごろになって、天上界に戻らなかったという・・・・・
「天之菩卑能命(アメノホヒ)が3年たっても戻って来ないので、次に天若日子が遣わされた。」
ホヒというのは徐福が出雲にスパイとして派遣し、出雲王家に仕えていた現・出雲大社の千家の祖のことであり、
「天若日子は大国主神の娘下照比売(シタテルヒメ)と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった」
となってますが、出雲王家の伝承では、
出雲王国を乗っ取ろうとしていたのは天若彦ではなく徐福こと火明命
です
徐福(和名=火明・饒速日)は、八千矛王と多岐津姫の姫の高照姫を娶って、
(斎木雲州氏は天之冬衣と田心姫の姫としてる)出雲王国を乗っ取ろうとし、
徐福こと火明は舅の出雲王ヤチホコと副王のコトシロヌシを殺害しました
下照姫の姉の高照姫と結婚したのは、徐福(火明・饒速日、神話ではスサノオ命)です
それに、系図では
度会村松 (伊勢神宮)によると
神皇産霊尊──櫛真乳魂命──天曽己多智命(角凝魂)──天嗣桙命──天鈴杵命─天牟羅雲命──天波与命──天日別命──彦国見賀岐建興来命──
櫛真乳魂命が入ってきます。
手力男=天嗣桙命なので
手力男–天鈴杵命–天御雲命–天村雲命(阿多小橋・二上命)—天波与命──天日別命
天嗣桙命(手力男)──天鈴杵命───天牟羅雲命────天波与命──天日別命──彦国見賀岐建興来命
洲宮神社(手力男の娘の天比理乃洋命(天太玉命妻)を祀る)祠官小野家の「斎部宿祢本系帳」では、
神魂命─角凝魂命─伊佐布魂命─天底立命─天背男命─天日鷲命─建葉槌命
https://tejikarao.com/ametejikarao
となっていて
天日鷲命の息子が建葉槌命で、
伊佐布魂命が天手力男命(多分)
天稚彦・天若日子の神話
天稚彦の神話で、実際の兄弟関係が再現されてます
下照姫の夫の天若彦(建葉槌命?)は返し矢で射殺されて、その両親が殯(もがり)で泣いていると
八千矛王と多岐津姫の息子・下照姫の腹違いの兄の味鋤高彦(あじすきたかひこ、神話では阿遅鉏高日子根神となっている)が弔問に来て、下照姫と天稚彦の父である天津国玉神(あまつくにたま)から間違えられ「生き返った!!死んでなかったんだ」と抱き付かれると
神話では阿遅鉏高日子根神は、「汚らわしい死人と間違えた!!」と激怒して神度剣(かむどのつるぎ)を抜いて
喪屋を破壊してしまいます・・・・
岐阜県の藍見村(あいみむら)は、かつて岐阜県武儀郡にあった村です
この神話は、徐福が出雲王と副王を殺害して、他にも出雲王家文化摩擦を起こしたことを書いているのではないでしょうか?
神度剣の持ち主は徐福ことスサノオ命です
喪屋を破壊したことは、王を殺されて服喪している出雲王国を征服(破壊)したことを暗示してるようにも思えます
徐福の妻となった高照姫の兄で、徐福とは義兄弟である味鋤高彦に暴れさせる話に仕立てている気がします
喪山が服喪の舞台になっていて、徐福の息子の五十猛の子孫の海部氏が尾張に居て、『真澄探当證』でも火明は岐阜県の大垣に隠居してることになっているので、建葉槌命と下照姫は尾張か美濃にいたの(あるいは居た設定)かもしれません
出雲族とスサノオ命(徐福)の子孫の海部・忌部は、東に移動しており、
静神社(常陸二宮)
も建葉槌命を祀ってます
倭文神社(しとりじんじゃ/しずりじんじゃ)鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内
母方が高貴であったり、高名な場合は母方の系図を載せるようで
『新撰姓氏録』を見るとそうなってますね
『新撰姓氏録』氏族一覧(第二帙/神別)によると
『新撰姓氏録』氏族一覧(第二帙/神別)より抜粋転載
①380 左京 神別 天神 県犬養宿祢 宿祢 神魂命八世孫阿居太都命之後也 218
381 左京 神別 天神 大椋置始連 連 県犬甘同祖 219
382 左京 神別 天神 雄儀連 連 角凝命十五世孫乎伏連之後也 219
②383 左京 神別 天神 竹田連 連 神魂命十三世孫八束脛命之後也 219
③384 左京 神別 天神 掃守連 連 振魂命四世孫天忍人命之後也 219
④385 左京 神別 天神 小山連 連 高御魂命子櫛玉命之後也 219
386 左京 神別 天神 畝尾連 連 天辞代命子国辞代命之後也 219
387 左京 神別 天神 久米直 直 高御魂命八世孫味耳命之後也 219
388 左京 神別 天神 浮穴直 直 移受牟受比命五世孫弟意孫連之後也 220
⑤389 左京 神別 天神 宮部造 造 天壁立命子天背男命之後也 220
⑥390 左京 神別 天神 間人宿祢 宿祢 神魂命五世孫玉櫛比古命之後也 220
⑦391 左京 神別 天神 爪工連 連 神魂命子多久都玉命三世孫天仁木命之後也 220
⑧392 左京 神別 天神 多米連 連 多米宿祢同祖 神魂命五世孫天日和志命之後也 成務天皇御世。仕奉炊職賜多米 連也 220
⑨397 左京 神別 天神 伊勢朝臣 朝臣 天底立命孫天日別命之後也 221
⑩398 左京 神別 天神 弓削宿祢 宿祢 高魂命孫天日鷲翔矢命之後也 221
⑪436 右京 神別 天神 天語連 連 県犬養宿祢同祖 神魂命七世孫天日鷲命之後也 229
⑫502 山城国 神別 天神 今木連 連 神魂命五世孫阿麻乃西乎乃命之後也 239
⑫503 山城国 神別 天神 巨椋連 連 今木連同祖 止与波知命之後也 240
504 山城国 神別 天神 額田部宿祢 宿祢 明日名門命六世孫天由久富命之後也 240
505 山城国 神別 天神 賀茂県主 県主 神魂命孫武津之身命之後也 240
506 山城国 神別 天神 鴨県主 県主 賀茂県主同祖 神日本磐余彦天皇[謚神武。]欲向中洲之時。山中嶮絶。跋渉失路。於是。神魂命孫鴨建津之身命。化如大烏翔飛奉導。遂達中洲。天皇嘉其有功。特厚褒賞。天八咫烏之号。従此始也 240
507 山城国 神別 天神 矢田部 鴨県主同祖 鴨建津身命之後也 240
508 山城国 神別 天神 丈部 同上 240
509 山城国 神別 天神 西泥土部 鴨県主同祖 鴨建玉依彦命之後也 241
510 山城国 神別 天神 祝部 同祖 建角身命之後也 241
511 山城国 神別 天神 税部 神魂命子角凝魂命之後也 241以上、『新撰姓氏録』氏族一覧(第二帙/神別) より抜粋
などによると、
神魂命-○-○-○-天底立命(天壁立命・高魂命・天仁木命)-天背男命-天日別命(天日鷲命・天日鷲翔矢命)(⑨⑤⑩⑪⑫)
より
神魂命-多久都玉命-○-○-天底立命(注1)-天背男命(手力男?)-天日別命(注2)(⑦⑨⑤⑩⑪⑫)
(注1)天底立命またの名を 天壁立命・高魂命・阿麻乃西乎乃命・天仁木命
(注2)天日別命またの名を 天日鷲命・天日鷲翔矢命
洲宮神社(手力男の娘の天比理乃洋命(天太玉命妻)を祀る)祠官小野家の「斎部宿祢本系帳」では、
神魂命─角凝魂命─伊佐布魂命─天底立命─天背男命─天日鷲命─建葉槌命
とあるので、賀茂県主同祖と同族で出雲族の子孫のようです
といっても、母系が高貴な場合、母方の系図を書くようで、
神魂命の子孫となってますので、建葉槌命の母方は出雲族というのは間違いなさそうです
斎木氏は四国も出雲王国だったとさらっと書いておられますが
という伝承も残っており
もしかしたら、出雲族が出雲に進出する前に、四国に居た可能性もあると思いますし、
奄美大島に、国栖の祖がたどり着いて、潮にのって南から九州南部、四国へとたどり着いた氏族が四国に居たということも考えられます
まだつづきます
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