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古代史ネットkodaisi.net は橘氏について調べたのがきっかけでした。倭奴(いの)国初代天照大神の天石門別八倉姫や天石門別手力男命と各地の天の岩戸なども調べています。
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

伊勢神宮内宮の西殿には撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と東殿には天手力男命こと向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊が祀られています。
倭国「いのくに」徳島と国栖=胡人の王・向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
「倭国」は「いのくに」阿波徳島か?倭奴国王は「いの」国王

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2025年3月27日木曜日

手力男は勇魚(くじら)の海神族か


手力男は勇魚(くじら)の一族か

 
手力男と安曇磯良は同一人物なのか?
少なくとも手力男のまたの名の一つは向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊 であり伊佐布魂命ともいう。
天石門別神社(三社皇大神宮、三社様、三所様、天石門別豊玉姫比売神社の元社) にはクジラ石があって、手力男のお墓の入口とも言われています。

手力男の一族はクジラの一族か?

『邪馬壱国は阿波だった』を読んでいたら海神族または天孫族のシンボルはクジラだという説があって、勇魚(いさな)というクジラの一族がイザナミ・イザナギを祖とする天孫族だというのです。
クジラの雌雄を伊弉諾・伊邪那美としていて、トーテムはクジラということになるのでしょうか。
 

クジラの一族が川を遡って山に住んだ

手力男のまたの名の一つは向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊 で速狭騰尊というのは狭い幅を遡るという意味があります。狭い幅のものというのは海に比べた川のことです。
川を遡って山に入った一族だと『邪馬壱国は阿波だった』では推測しています。    船盡神社(歯ノ辻神社)と船盡比売神社参拝 でも鮎喰川を遡った港に手力男は祀られています。
戸隠神社鎮座考では手力男のまたの名を天背男命・伊佐布魂、天忍日命すなはち手力男命としていて、伊勢の風日祈宮(かざひのみや)では天忍日命は天忍漁人命(あめのおしあま命) とも言うそうです。   手力男の系図6 手力男は振魂(布留多麻)安曇磯良・手力男・級長津彦・五十猛は同一人物?
珍彦は手力男の次妃の豊玉姫の連れ子らしいのです。
綿津見豊玉彦┳宇都志日金折━多久置━━穂己都久
××××××××┗振魂━━━━武居起━━━珍 彦
××××××××(布留多麻)      (椎根津彦・倭宿祢命)
風日祈宮(かざひのみや)は風ということではなくて、榊などをかざして日に祈るという意味で「かざひ」という説があります。風日祈宮のご祭神は級津彦命と級津戸辺命です。
手力男の元の名の級津彦は琉球方言では「太陽の男」という意味なので、天照大神の夫神という意味でぴったりです。
『邪馬壱国は阿波だった』でも「鯨の雌雄を象徴として祀る南方族が、イノクニの山々に米種を定着させ、やがて陸稲から水稲への転換を行い、全国に農作をひろげていった」と推測しておられます。
手力男の元の名が級津彦というのも、琉球経由で来た南方系の氏族だということを示していると思います。
「先代旧事本紀」に「天手刀雄神批者座ニ佐那県一也」とあり、天石門別神社には神田があります。
天石門別神社のある佐那河内村西南部の高地一帯を昔から高天原と呼んできたそうです。
 
 
今回、風邪を引いてしまったため、徳島で食べた唯一のごちそうがすき焼きセットでした。
とろけるお肉で美味しかったです。

ホテルの建物につくったお庭にも雪が少し積もってました。